翳りのない少年たちの季節は過ぎ去って

人によって障害物の数は違う。生まれ落ちる環境は誰にも選べない。自分の意思とは無関係に与えられたものに削られ、あるいは磨かれながら子どもは大人の形になっていく。高校生というのは難儀な生き物で、まだ大人とは呼べないが子ども扱いされるとカチンとくるような、やりたいこととできることのギャップが一番大きいような、いっぱしの心持ちと現実に動かせる手足の未熟さの狭間でじたばたともがく年の頃だったりする。人間はスイッチひとつでパッと子どもから大人になれるわけではない。自分の器と中身が一致しない混沌の季節があって、それが過ぎ去った先に自分は大人だと言える季節がやってくるのだと思う。

伊吹藍と九重世人は、青春を奪われた高校生たちに向き合う警察官の中である意味最も彼らに近く、それでいて対極のスタンスを持つ人物として描かれた。「俺なみのバカ」と呼びかつて道を外れかけた自分を重ね合わせるように振る舞う伊吹と、彼ら同様に子どもと大人の間に立ちながら、犯罪者と呼び間違っても自分と同じだと思われたくない九重。二人の放つ言葉に天と地ほどの隔たりがあるのは、それぞれのバックボーン自体が大きく違うからであろう。

伊吹は1話から3話まで、毎回容疑者の心理を代弁するような言葉を口にする。そこにポンと置かれていたものをただ拾い上げただけ、という軽さで出てくる確証に満ちたセリフには強い当事者性が感じられる。負けたくないから相手をブイブイ煽ってオラついて、着せられた濡れ衣を剥ぎ取るために逃げて、身体の内側に溜まった熱を解き放つために走って。そういった経験が伊吹にはあったのだろうと思わずにはいられない。桔梗の言葉に感電した伊吹の中の少年は、まさに教育を受ける機会を得られずこぼれ落ちていた子どもだった。

そうしてあっさり成川たちの行動原理を理解する伊吹とは反対に、九重は走りたいなら場所はいくらでもあるし一人で走ればいいと不理解を示す。ここで押さえておきたいのは、成川たちはただ単に走りたかったわけではない、ということ。彼らがしたかったのは、前の大会でバトンミスで勝利を逃したリレーのリベンジ、そして連帯責任と一括りにしてクスリとは無関係の自分たちから部活を取り上げた大人への抵抗だ。それには"本番"という場が必要で、一人ではまるで意味がない。「このメンバー」で「リレー」で「大人を翻弄して」勝つことにこそ彼らが走る意味がある。ただ走りたいだけでもなく、ただ大人たちに一矢報いたいわけでもない。

その声なき声を汲んで放たれた伊吹の「走りたいんだよ」を、九重は額面通りにしか受け取れなかった。それは九重の人格に問題があるのではなく、彼が育った環境に伊吹や成川たちのような人間がいなかったからだと言える。作中の言葉を借りるなら九重は「世間知らず」なのだ。
彼は教えられたことをすぐに吸収して次に活かそうとするし、足りない知識は仕入れてくるし、時には覚えなくて良いようなことまでメモに取る。真面目で努力を怠らない優秀な人だ。ただ、その武器とも呼べる特性は、努力がきちんと報われる環境にいたからこそ身につけられたものでもあると私は思う。生来の能力の高さも手伝って成功体験をずっと重ねてきた九重は、研鑽を積んだ分だけ成果はついてくるものだと考えている節があり(公式HP相関図の人物紹介曰く「今まで何事もうまくこなしてきたという自信から、どこか上から目線になりがち」)、それは裏を返せば現状に満足していない人はその人の努力が不足しているからだという個人の問題、志摩が指摘した自己責任論に収束しやすい。だからバカをやる犯罪者を軽蔑し、「他のことにエネルギーを使うべき」と斬り捨ててしまえる。世の中にはバカをやらずにはいられない、それ以外の生き方がわからない(もしかしたらそれをバカなことだとも思えないくらい切実な)人がいるということを知らずに、また自身もバカをやらずにここまで生きてきた。生きてこられた。それは後に自力で気づく「うんざりするほど恵まれている」ことのひとつであり、「世間知らず」と評した所以だ。無知の刃はきっと鋭い。世の中には自分の想像が及ばないようなものが無数にあると常に頭の片隅に置いておかなければ、いつか誰かを切りつけてしまう。知らないのなら知るしかない。知ろうとする姿勢にもまた努力が必要だが、彼はそれができる人だ、ということは数ヶ月後成川に手錠をかける時に言った「全部聴く」が物語っている。
高校生とは難儀な生き物だと書いたが、身体も立場も大人でありながらどこか自分は大人とは違うと思っていそうな九重には、彼らと近いものを感じる。若さを盾にバカをやる奴に嫌悪を示しつつ、若い人が何も考えていないと思っている大人にもバカだと苛立ちを募らせる。その大人に自身は含まれておらず、かと言って子どもでいるつもりでもない。境界線の曖昧な"若者"と呼ぶのがしっくりくるような不安定な足場に立つ存在として映った。

××知らず、という言い方をなぞるとしたら伊吹の場合は「常識知らず」だろうか。良くも悪くも常識を基準としない振る舞いは、今回は再犯を予見する形で捜査に貢献した。
伊吹は高校生たちに共感はしても肩入れはしない。気持ちはわかるし多めに見てやろう、などということは言わない。むしろしょっぴくことには乗り気だ。警察官として当然の姿だと言われればそうだが伊吹の場合は少し違うところにエンジンがあるように思う(そもそも真っ当な職業倫理という観点を持ち出すと伊吹は少し危うい)。伊吹にとって目の前の高校生たちは昔の自分自身であり、己の軸足は「自分を正しい道に戻してくれたガマさんのような刑事になること」にある。かつて彼にしょっぴかれたことで今ここに立っていると考える伊吹ならば、師匠と同じ選択をするのは必然と言えるだろう。下手な情けは相手のためにはならない。きちんと裁きを受けさせるのは誠実な大人の手の差し伸べ方で、伊吹は誠実な大人だった。揉み消して何もなかったことにするのがあなたたちのためだとお為ごかしの言葉を吐いた校長とは対照的に。

3話『分岐点』は、動機を理解できる大人(伊吹)と理解できない大人(九重)の対比だけでなく、子どもを切り捨てる大人(学校)とすくい上げる大人(警察)の対比を描く構造にもなっている。アンナチュラルに引き続き野木脚本は「あったことをなかったことにする」態度に批判的で、保身に走る大人のカウンターとして配置したのは、身を粉にして職務にあたる警察官たちであった。いたずらだろうがこっちは確認しないわけにはいかない、と冒頭で陣馬が漏らした愚痴は、終盤の毛利の名台詞(と個人的に思っている)「ま、こっちは警察なんで。通報がありゃあ調べもするし助けもしますよ」で形を少し変えて回収される。対象がどんな奴でも向き合う(向き合わざるを得ないとも言える)警察。それを織り込んで彼らを勝負の相手に選んだのかはわからないが、自分たちは人を助けるために動くのだ、と言う大人に受け止められたことは高校生たちにとっては幸運だったのではないかと思う。

MIU404は、アンナチュラルで切り捨てた"犯行の動機"は本当に切り捨てて良かったものなのか?という思いから、加害者の声を拾うことに焦点を当てた作品だと脚本家の野木亜紀子は語っている(※)。犯罪者と呼ばれる人間の気持ちがわかりすぎる伊吹とわからなさすぎる九重、疑う姿勢をベースに敷くことでバイアスを排除しようとする志摩、35年間様々な事件の様々な犯人を見てきた陣馬、10年先の治安を見据えて事件に向き合う桔梗と、ほぼ10歳差4世代で構成された4機捜のメインメンバー。本気を感じる布陣である。また、3話のみならず彼らは「子どもの言うこと」「子どものしたこと」と雑に括って片付けることなく真摯に向き合う大人として描かれた。7話で放たれた「悪い大人もいるけど、ちゃんとした大人もいる」という台詞。そのドがつくほどストレートな言葉は、一人で世の中に絶望しないでほしいという若者へのメッセージであり、日々懸命に社会の中で働いている大人への肯定のようにも感じられる。いつか大人になる子ども、かつて子どもだった大人、その過渡期にいる者。罪を犯した者、そうでない者。どの層に対しても誠実であろうとする作品の姿勢は、私にとってMIU404が好きだと胸を張って言える理由のひとつである。

以上、外野という立場からかなり好き勝手に、とりわけ九重に対して誰様だという目線であれこれ述べてしまったが、この文章は4割がブーメランで5割が自戒だ。自分の見たもの、考えること、感じたことが全てで正しいなんて信じ込まないように、謙虚な人間で在ろうとし続けたいと思う。

※下記インタビュー参照
s.cinemacafe.net

一に満たない彼らは一に満たないまま走っていく

志摩と伊吹の関係性が「共依存」という言葉で表現されたのを初めて見た時、そう捉えていいのか、と衝撃が走ったのを覚えている。とあるインタビュー(脚本賞は「MIU404」野木亜紀子氏 ラストシーンは『連続ドラマでなかったら生まれていない』<ドラマアカデミー賞・インタビュー前編> | WEBザテレビジョン)での話だ。
私はこれを読んで、MIU404は「志摩と伊吹が共依存っぽい関係に陥りながらもそこから脱却し新たな関係を築く話」でもあるのだ、と新しい視点を獲得した。ただ、それをすぐに噛み砕けたわけでは全くなく、何がどう共依存的なのか腹落ちするまでに軽く1年くらいかかっている。以下の文章は、自分で自分を納得させるべく、ずっと抱えていた宿題をどうにか提出するようなテンションで書いた、いち個人のいち解釈である。

404における「共依存っぽい関係」を別の言葉に置き換えるとすれば、「こいつと一緒に走ったら間に合うというある種の盲目的な信頼を互いに寄せ合っている状態」が一番近い気がする。身の内に無自覚の"正しさ"を宿した伊吹とそれを見つけ出した志摩。「うまく言語化できないものも拾って耳を傾けてくれるこの人がいれば自分は全力で走って誰かを助けられる」「この危なっかしいけど正しい奴を真っ直ぐ走らせてやれたらきっとたくさんの人が救われる」というそれぞれの思いが加熱した結果、万能感にも似たような「こいつと二人でならやれる」という感覚が404の間に芽生えていった。その状態のピークが9話のハムちゃん救出〜10話の北目黒病院に辿り着くまで、それが崩壊し個に立ち返るターンが最終話の頭〜バッドトリップから目覚めるあたりまで、そして新しい関係で走り出すのがそれ以降、とざっくり分けるとこんな感じだろうか。志摩と伊吹の「こいつと〜」の足並みが揃ってくるのが8話の終わり〜9話の頭なのでラスト3話は本当に怒涛の展開だと思う。

まず志摩の場合は、1話のラストをきっかけに6話・8話を加速点としつつも比較的緩やかに伊吹に傾いていったイメージ。
はじまりは恐らく「機捜っていいな。誰かが最悪の事態になる前に止められるんだよ?超いい仕事じゃーん」という伊吹の言葉。勤務初日でこの感想が出てくる伊吹の短時間で本質を掴むセンスには舌を巻くが、これを聴いて、こいつとなら取り戻せるかも、救えなかった人の分まで誰かの未来を救えるかもと感動したという志摩の跳躍も大概凄い。警察官としてはいただけないような暴力性を目の当たりにしながらも、こいつはやり方を間違えなければ人を救える刑事になるとこの時点で予感していた。だから桔梗に適正を訊かれて「刑事の常識から教えなくちゃならない」と言う。常識がないとこき下ろすのではなく、自分が教えるつもりにもうなっている。6年前の相棒には「調べ方が悪いんじゃないか」「今まで何を習ってきた」としか言えなかった自分への戒めと新たな相棒への期待が感じられるセリフだ。
というわけで、実は感動してましたと本編で明かされるのは9話だが、実際は2話以降ずっと志摩は伊吹に可能性を感じながら走っていることになる。3話の「俺はあいつを意外と買ってる」という宣言を聴いた時ですら相手を認めるのが結構早いなと思ったが、全然そんなレベルではなかった。「他人も自分も信用しない」の「他人」には当然伊吹も含まれていて手放しでは認めていないが、その一方でこいつとなら、という予感を抱いてもいる。1〜5話の志摩は結構シンプルで個人的にはわかりやすい。

対する伊吹の場合は、5話あたりから志摩という人間に興味を持ち始め、6話を経て8話から9話にかけて急速に傾いていったイメージ。志摩と比べると意外にスローな立ち上がりである。1話の序盤から「こいつマジでただのヤンキーですよ」と伊吹の人物評定を始める志摩と対照的に、伊吹の口から志摩って○○な奴という言葉が出てくるのは4話ラストの「お前の本性が死にたい奴だったとはな」とかその辺で。5話でガマさんが相棒は?と話を振るまで、我々も伊吹が志摩をどういう人間だと思っているのか実はよく知らない、という。しかもそこで出てきた人物評定が「頭はすげー切れるけどいちいちムカつく」。それって志摩評の中では割と浅いところに位置してるやつじゃないか?案外まだその辺にいるのか伊吹……と少しびっくりしてしまう。馴れ馴れしくパーソナルスペースを割ってくるだけで深いところまでは潜らず浅瀬をずっと泳いでるような対人距離の取り方。
もちろん伊吹にとって志摩はこれまでの同僚たちとは違うのだろうが、例えば志摩のこういうところが気に入っている、とか志摩とならこれができそうみたいなものはまだこの時点ではあまりなく(もしくは自覚できておらず)、認識の仕方が「いまいち信用はされてないけど自分の勘も判断材料に含めてくれるまあまあ上手く仕事ができている初めての相手」くらいのところで止まっているような気がする。これまでの伊吹の経歴を考えれば、伊吹をいち戦力として扱う人材と出会っただけで奇跡みたいなもので、個人のペルソナ云々ではなく単に「自分をそう扱ってくれる人」として志摩を見ている部分があってもおかしくはない。1話のブチギレゴミ箱やローリング廃車も「規則規則言う頭カタイ真面目くんかと思ったら意外とやるじゃん」というワンコの格付け修正に寄与するくらいの出来事っぽく、やたら相棒相棒連呼するのもただ手に入れたての「相棒」という言葉を使ってみたいだけ、というようにも映る。2話で繰り出した「俺たちいい相棒になれそうじゃん?」の「いい相棒」ってなんなんだろうか。伊吹の言ういい相棒の基準は、たぶん一般的なそれと比較すると馬鹿みたいに低くて、「自分の意見に耳を貸してくれた」程度のことでいい相棒判定されそうなガバガバさを想像してしまう。

そんな伊吹が「他の誰でもない"志摩"と向き合って相棒として一緒に走っていくんだ」にシフトした、そして志摩が伊吹に「落ちた」のが6話だった。
売られた喧嘩を買うような形で始まった相棒殺しの謎解き(そもそも最初に売ったのは伊吹なのだが)。順当に攻略していけば最後に行き着くのは桔梗のところで、その人はただの野次馬根性や薄っぺらい「志摩のため」みたいな言葉では絶対に過去の資料を見せたり何があったか教えたりしない、というところまで志摩はわかった上で、やれるもんならやってみろと伊吹を焚きつけたのだと思う。「相棒」を名乗って過去をつつくならそれくらいやってみろと。ある意味この相棒殺しの謎解きは、伊吹にとって志摩の「相棒」となり得るかどうかの試金石だった。そして伊吹は桔梗を納得させた。志摩に相棒を殺したのか訊いて肯定されたら怖い、と九重に言う伊吹はもうちゃんと志摩に向き合おうとしていて。過去に縛られたままの志摩を俺が救う!ではなく、純粋に自分が志摩と全力で走るのに必要で知りたいだけだと、いっこいっこがスイッチで大事にしたい諦めたくないと6年前の志摩の逆を行く伊吹を、桔梗は認めた。香坂の手紙も読んだ、という電話越しの言葉で、志摩は桔梗がそうするに足るものを伊吹が見せたのだと悟った。桔梗は伊吹が機捜隊員としてやっていけるかどうかという判断を志摩に預け、志摩は自分の過去を伊吹に晒すかどうかの判断を桔梗に預けた、と考えるとこの二人の信頼関係が物凄いがまたそれは別の話なので割愛。最後のピースは伊吹の本気を知った志摩本人から与えられるというのがまた良いバランスで、秘密の共有のようでもあり懺悔のようでもある。

そして、志摩をすくうためではなくあくまで自分のために取った伊吹の行動が、結果的に志摩を少しだけすくうことになるというまさにスイッチのような展開と、その伊吹が放った「俺の生命線は長い」という言葉。
香坂という相棒に死なれたことは志摩にとっては最大のトラウマで。この「相棒に死なれた」という言い方は先述の野木さんのインタビューから引っ張ってきているが、志摩の意識としては「自分が殺した」であることは明白。止められるスイッチを全て見て見ぬふりをした自分を志摩は責め続けた。伊吹という相棒の進退を任された時、もう二度と同じ轍は踏むまいと過去の自分を反面教師とした。くだらない雑談に応じるのも世界一意味のない電話に律儀に出るのも、全部スイッチを見過ごさないための志摩なりの努力。口酸っぱくルールの中でやることを説く(そして自らにそれを課している)のも、香坂の死の間接的な原因となった「己の思う正義の為にルールを逸脱した行為に走る」ことをさせないため。
伊吹は、そうして志摩が自分を踏み外させないように隣を走っていたこととその理由を今回の件で知った。そして知った上で志摩に掛けた言葉が「俺の生命線は長い」だった。……天才か?
これは言うまでもなく2話の「お前は長生きしろよ」に対するアンサーであるが、伊吹はその言葉の本質が「香坂みたいに早死にするなよ」であることを時間差で理解した。だから「俺はそう簡単に死んだりしねーよ」と言うのだが、それをこの言葉でこのタイミングで放つのが本当に凄い。しかもちゃんと説得力がある。1話から通して、車が横転しても無傷、車にはねられてもいってえ~だけで無事、縄跳びに引っかかってすっ転がっても無事、撃たれても避ける、階段から足を滑らせても踏みとどまる、等、志摩が実際に目撃してはいないものも含めて我々は伊吹のザ・フィクション的な無傷っぷりを目撃しており、「そう簡単に死んだりしねーよ」に対する信頼度はカンスト。「俺の生命線は長い」の前の「ま、安心しろ」も、「俺の〜」を聴いて志摩が安心できると思ってるから出てくるわけで、そりゃ志摩もあんな顔になるわけで。
人はそう簡単に救えないし救われない。この先もウイスキーは飲めない。起きてしまったことは取り返しがつかないし変えられないけど、あの夜香坂がどう「生きた」のか知ったことで志摩のこれからの生き方が変わったことは確か。それを知るきっかけをもたらしたのは「相棒」の伊吹。そういう意味で6話は大きなターニングポイントであり、伊吹と志摩の心的な距離が変化する回だった。志摩はお前ごときの捜査能力、と煽り半分見くびり半分だった認識も改めたことだろう。
そして、伊吹が口にする「相棒」の質も6話を境に全く別モノに変化する。6話中では伊吹の「俺は404、お前の『相棒』だ」と志摩の「それもあるけど……『相棒』だから」の重みの差に眩暈がしそうになるが、8話の伊吹の「どうも〜機捜の伊吹です、志摩の『相棒』の」はどうだ。これまで乱発していた「相棒」とは込められた気持ちが違うように聴こえる。

そんな6話を経ての7話に関しては、フォロワーの「一回寝た?みたいな距離感」という表現が言い得て妙で、志摩はどこか憑き物が落ちたようなすっきりした感じがある。初対面で他人も自分も信用しないと言い放った志摩が、初めて自分から伊吹の意見を引き出しに行った。それのみならず「それニャ!」と伊吹のノリに乗るまでいくのだからガードゆるゆるになるの早……と口が開いた。大熊の不幸は10年間誰にも見つからなかったこと、と言った伊吹は10年目にして志摩に見つけてもらった人。これもまたスイッチ。

そして問題の8話である(問題言うな)。
主人公二人をベクトル違いの「間に合わなかった」人たちにして今度は間に合うようにと渇望させよう、と考えた野木さんは鬼か。志摩は自分にできることがいくらでもあったのにやらなかった、伊吹は自分にできることが何ひとつなかったという苦しみを抱えて生きる。5話でガマさんと飲み屋で会ってたのが6月上旬、堀内を殺したのがセミの鳴く頃、遺体発見から逮捕までが9月だ。まだあの時は……と考えると本当につらいものがある。
腐ってたという伊吹が今の伊吹になるまでのプロセスは恐らく【誰も俺を信じてくれない→俺も誰も信じない→ガマさんだけが信じてくれた→ガマさんみたいな刑事(俺みたいな腐って誰も信じようとしないような奴を真っすぐ走らせてやる人)に俺もなる→誰からも信じてもらえないような奴を俺は信じてやる→大抵のことは信じるようにしている→お前は人を信じすぎる】といった感じで、ガマさんの存在によって伊吹は伊吹になった。そのガマさんが刑事として背負ったものを全て捨てて人殺しに手を染めたというのは、伊吹には耐え難い喪失であり、手酷い裏切りであり、自身の背骨を引っこ抜かれるのに等しいような出来事ではないだろうか。「何があってもあなたは人を殺しちゃいけなかった」という志摩の言葉には、あのグレートデカのガマさんだって大事な人を失ったら刑事でいるより復讐を選ぶのだ、と伊吹が認識してしまったことに対する危惧が少なからず含まれている気がして。あの人ならこういう時どうするだろうか、と信頼・信用している人を当てはめて考えるのはひとつの指標として有効だが、大事なものを傷つけられた時に伊吹が最初に代入するのはあのガマさんだと考えるとまずいなんてものではない。実際、その後伊吹は「刑事を捨てても俺は許さない」と恩師の言葉を一度のみならず引用しており、かつてそうだったという「悪い奴はぶっ殺しちゃえばいい」という倫理水準の方へ戻りかけてないか?という危うさを感じさせる。伊吹の軸足は今どこに。
とはいえ、ガマさんを逮捕した日の夜の屋上で、折れそうな(もしくはもう折れてしまったかもしれない)心で志摩の手を取った伊吹は、まだ絶望の淵には飲み込まれていないと思う。完全に閉じてしまった手は掴めない、と結ばれた大熊の人生、そしてガマさん。でも伊吹の手はまだ閉じていない。それは志摩や4機捜の存在が、ガマさんとはまた違う部分で伊吹を支え始めていたからだろう。志摩が伊吹に投げた「俺ひとりで行かせるつもりか?」は6話で伊吹が言った「刑事辞めたりしないよな?」に対応していて、志摩の手を掴んだ伊吹は刑事のままでいる方を選んだ。ずっと放心したような表情だったのが、志摩の「行くぞ、相棒」で魂が戻ってきたように瞳が揺らぎだす。伊吹が志摩に「落ちた」瞬間を敢えてあげるとすればここではないかという気はするが、落ちたというよりは縋ったというか、この状況で志摩以外に心を預けられる人が伊吹にはいないという感じが近いかもしれない。
一方で志摩の方は、伊吹をすくい上げたと同時に、志摩自身もまた伊吹にすくい上げられたのではないか、と思わされる構図で。「行くぞ、相棒」は2話で一度は結構ですした「俺たちいい相棒になれそうじゃん?」のアンサーで、傷心の伊吹に「俺と一緒に走るぞ」と言っている。そして伊吹に差し出した右手は、あの日の香坂に差し出したくても二度と叶わない右手でもあって。繰り返し夢に見る幻を少なからず目の前の光景に重ね合わせて、今度こそはと強い思いを抱きながら手を伸ばした。そして伊吹は「俺の生命線は長い」と志摩をすくい上げた右手でその手を掴んだ。感電が過ぎる。しかも手が重なって先に掴むのは志摩の方という……
変な言い方をするが、志摩的にはあの日は間に合わなかったが今日は間に合った、という体験が伊吹を通してできたことになり、伊吹という相棒と「間に合う」という事象の紐付けが強化されたのではないかと思う。伊吹自身は「間に合わなかった」けれど、志摩にとっては「間に合った」のがこの8話。伊吹の側でも「一人では間に合わなかったけど二人でなら間に合う」を加速させる要素になったのでは、と解釈した。

もうひとつ志摩に関して思うのは、志摩は自分には伊吹を正しいまま走らせる義務がある、とうっすら考えだしているのではないかということ。
最後にガマさんから自供を引き出したのは伊吹だけど、そこに至るまでの道を整備して目の前まで連れていくというお膳立てをしたのは志摩。お前が言うところの「勘」にはある程度の根拠があり信憑性が認められます、と本人の前で能力を評価し、だから本当はお前もわかってるんだろ?いつまで気づかないふりするつもりだ?と、客観的事実を並べて逃げ場を潰しながら詰めていく。淡々と喋る志摩に「全部志摩の想像!!」と怒鳴る伊吹は、そう叫びながらも志摩が根拠のないことを言わない人間だとよく知っているはずで、激昂して話を遮ったこと自体がひとつの答えになってしまっている。志摩はガマさんが伊吹の恩人だと知っていても容赦しない。というより、身内だからと忖度するようなことは刑事に悖る行為であり、伊吹の恩人で元警察官なら尚更正しく法に則って裁かれるべきだと考えていそうな人だ。そして最終的に刑事を引き連れてガマさんの家を訪問することを承諾した伊吹もまた、刑事としての仕事を全うした。2話で犯人隠秘についてのやり取りがあったが、罪を犯した人をかばうという話はそう珍しくもないことで、伊吹だって絶対にそうならないとは言い切れなかった。志摩は酒とツマミを手土産に、ガマさんが犯人だと認めたがらない伊吹を落としにかかりながら、併せてお前は刑事でいろよとこちら側に縫いとめていたのではないだろうか。
志摩はガマさんの言葉を伊吹に伝えられるか、というのはこれだけで別のテーマとして議論に発展しそうだが、きっとガマさんは志摩をもうゴム底のない靴で走る奴だとは思っておらず、自分という拠り所を無くす教え子を支えてくれとやや身勝手な願いと共に伊吹を託した。志摩はそれを理解しつつ、恩師に引導を渡すよう伊吹に言ったのは自分であるという自覚と相棒としての思いから、伊吹が正しいまま走れるよう自分が隣を走らねばという気概が増したような印象を受けた。元々志摩は香坂の件もあって伊吹が踏み外さないようずっと手綱を握っている感じではあったが、「自分がそうしたい」だったのが今回の件で「自分がそうせねば」にスライドしつつあるのでは……と。
無実でいてほしかった相手に自分でかけろと志摩に手錠を渡された2話の伊吹。「相手がどんなにクズでもムカついても殺した方が負けだ」という言葉がブーメランで刺さる厳しいリフレイン。

ようやく8話かけて「間に合わなかったという傷」と「心を預けられる相棒」という要素が双方に備わり、ここから「こいつと一緒に走ったら間に合う」という確信への加速が始まる。

助けた数より助けられない数の方が多いのかも、とこぼす伊吹に、初めて勤務初日に抱いた「予感」の話をする志摩。順序を入れ替えてかなり序盤に語ってしまったが、伊吹相手にはこのタイミングで炸裂させるのが一番効果的で、なんてものを隠し持っていたんだと唸るほかない。もし次間に合わなければ折れてしまう。そんなギリギリの精神状態で「伊吹と一緒に走ったら助けられなかった人の分まで誰かを助けられるかもしれないと俺は初日に思いました」という言葉をもらった伊吹は、自分一人で間に合わなかったことから、志摩と二人で間に合わせることへ目を向けられるようになった。繰り返す「間に合う」という言葉が、自分たちに言い聞かせるように、まるで言霊に懸けるように、足元をしっかりと踏み固めるように、過去を乗り越えるように徐々に力強く熱がこもっていくのに、次こそはという二人の強い気持ちが感じられる。と同時に、伊吹の「間に合うかな」という問いを「間に合う」と断定形で拾う志摩に僅かに違和感を覚えるのも確かで。たわいもない色話から香坂が死んだ晩の話に至るまで「証拠がないことを言うな」と言うのが志摩で、こんな風に即座に言い切られると少し調子が狂う。もちろん不安に駆られている人には100%大丈夫だと断言する方が安心感を与えられるのだろうが、志摩は不確定なものを不確定なものとして扱うことに誠実さを見出しているタイプの人間じゃなかったか、と個人的には考えているので、もしかしたらこの時点でもう志摩の思考には「伊吹と一緒なら間に合う」というバイアスが働き始めているのかもしれない。

ところで志摩の「伊吹は間に合わなかった」という発言を皮切りに二人の間で使われる合言葉のようになったこの間に合う/間に合わないという言い方、志摩自身は4話で桔梗がぼやいてしまった「私たちはいつも間に合わない」から引っ張ってきてるんじゃないかと勝手に推測している(あの場にこっそり伊吹もいたので)。青池透子と共に初めてフォーカスされたハムちゃんに、必ずあなたを自由にすると誓っていた桔梗。青池透子には間に合わなかったがハムちゃんはどうか、という点で4話と9話は対になるエピソードだなと。

話を戻してエトリ逮捕へ動き出した警察。ハムちゃんたちに何かあったら俺は許さないと言う伊吹に「俺も許さない」と返す志摩、伊吹の言う「許さない」はガマさんの言葉の引用であり要するに「殺す」という意味だとわかっていてその返しをするのにヒヤリとするが、たぶん本当に大事なのはその後の「そうなる前にエトリは必ず捕まえる」の方だ。「俺"も"許さない」と伊吹の気持ちに寄り添いながら、俺が一緒に走るからお前を正しい道から踏み外させはしない、と言っている。機捜を「誰かが最悪の事態になる前に止められる超いい仕事」と表現した伊吹に心を動かされた志摩が一番止めたい人物はもう言うまでもない。そして志摩の「俺も許さない」も本気だったと後からわからせるのが最終話のバッドトリップという構造。震える……

もう取りこぼしたくないという強い気持ちと裏腹についにエトリの手に落ちてしまうハムちゃん。知らせを聴いて一瞬で沸騰して弾丸のように飛び出そうとする伊吹を押さえながら志摩が放つのが「間に合わせるぞ」で「ハムちゃん助けるぞ」ではないところに、この二人がもっとデカいものに対峙してることが示唆される。
突発的に発生したハムちゃん奪還作戦を含むこの一連の捜査は、警察にとっては存在しないとさえ思われたエトリを捕まえるチャンス、九重(401)にとっては悪い方へスイッチさせてしまった成川を正しい道へ戻せるかどうかの分岐点、桔梗とハムちゃんにとっては「女だから」という理不尽に共に抗い続けた2年間に決着がつくかどうかの最終局面、そして404にとってはひとりでは間に合わなかった過去の自分たちとの間接的な雪辱戦であり救済できるかの瀬戸際であり刑事でいられるかどうかの土壇場でありケーキ入刀である。これで最終回じゃないの、本当になんなんだ?
もちろんハムちゃん(と成川)を無事に助け出したいという気持ちは疑いようもないが、それ以上にこの二人は「間に合う」ことに固執しているように見えた。恩師を止められなかったという大きな傷を負った直後にこんな大事な人の生死がかかった瞬間に立ち会わされたらそうなるのは無理からぬことで、伊吹も志摩も相当必死だったことが痛いほどわかる。小さい「間に合った」を積み重ねて傷を塞いでいくという道もあったはずだがそうは問屋が卸さないのがテレビドラマの制約。当初の通り14話の構成だったらこの辺りがどうなっていたのかは結構気になるところ。
ハムちゃんの意識を確かめて叫んだ「間に合った!」は、死ぬ前に救出が間に合ったという文字通りの意味でもあり、今度こそ大事な人を取りこぼさずに済んだという安堵と勝利の雄たけびみたいなものでもあった。ここでも「間に合った!」と叫ぶのは志摩だし思わず抱き寄せるのも志摩で、お前本当にそういうところ……となるが、それはこの「間に合った」はハムちゃんと伊吹の二人分だから、と解釈することにしよう。
こうしてぎりぎりの状態でなんとか間に合ったことは強烈な成功体験として二人に刻まれることになった。こいつと一緒に走ったら間に合うかもしれない、という志摩が1話で抱いた予感は確信へと変化した。自身を「有言実行の藍ちゃん」と表現した伊吹と同様に、間に合う、間に合わせるぞと言って伊吹を引っ張り上げ実際その通りになった相棒もまた有言実行の志摩ちゃんで、やはり志摩の言葉は信ずるに足るものだ、と再認識したようにも思う。

9話は志摩と伊吹のコンビネーションも気持ちよく決まっていて、志摩の頭脳と精神力、伊吹の足と耳という互いの武器を総動員してハムちゃんを手繰り寄せたのはバディものとしては最高の展開。続く10話も最後の方までは本当に良い感じで、ボイスレコーダーを回したり瞬時に鎌をかけるカンペ出したりする志摩は機転が利いていたし、通話の先の久住から離れた位置の出前太郎の声を聴き取る伊吹の聴力は凄まじかった。それで居場所を掴んだのだから、普通のドラマだったらもう久住捕まってる。しかしMIU404は普通のドラマではないのでメケメケフェレットは捕まらない。二人の関係に亀裂が入る分岐点がやってくる。
病院か久住か、という二択は今か未来かという選択で、久住がもたらす影響の規模と範囲を考えれば病院よりも久住を取るべきだ、と本来ならば考えるのが志摩の役割だった。伊吹は絶対今助けを求めている人を見過ごせないと言う人だから。しかし現実の志摩は逡巡を一切吹っ切った顔で伊吹の判断に乗っかった。これを見た時、完全に「伊吹となら取りこぼさない」というバイアスがかかった状態だなと思ってしまった。二人を「いい相棒」にしていたものがここに来て仇となるという展開、実にえげつない。勝って兜の緒を締めよ、と無責任な外野は言いたくなるが、伊吹の意見にも理はあるので判断ミスと一蹴するのはあんまりだろう。伊吹はきっと志摩が久住に向けて言った「人間がやったことの証拠は必ず残る」という言葉を踏まえて、生きてりゃ辿れる、またチャンスがやってくると志摩に呼びかけたのだ。これまで彼の言葉にたくさん揺さぶられてきた志摩が、究極の選択を突きつけられた状態であんな力強い相棒の言葉を聴かされたらそちら側にもいくし「了解、相棒」なんて言ってしまうのも大いにわかる。わかるだけに、それを後悔する次週のダメージはひとしおである。
少し時間を遡って伊吹に不安を覚えるのが、ゆたかとサシで話してるシーンの「ルールは守んなきゃいけないっていつも志摩が言ってる」発言。確かに志摩はいつもそう言うしゆたかにルールを守ることを説くのも何ら間違ってはいないが、志摩がそう言うからそう思ってるだけで、言わなくなったら(もしくはいなくなったら)伊吹は「ルールなんてどーでも良くない?」という状態に戻りそうな危うさを感じた。伊吹の根っこは実は今でも「悪い奴はぶっ殺しちゃえばいい」で、志摩やガマさんによって刑事の倫理観という名の塗装がされてる(されてた)だけなのだろうか。伊吹を正しいまま走らせてやりたい志摩のガイドも永遠ではなく、やり方を知らない伊吹がそれを身につけるまでの補助輪的なものなので伊吹自身がルールの必要性を理解しないと意味がない、ということをいまいちわかっていなさそうな感じが怖い。

相棒に寄せていた盲目的な信頼が既にぶっ壊された志摩とこれからぶっ壊される伊吹、崩壊と再構築の最終話。
404的に9話のハムちゃん救出が強烈な成功体験だとするなら、10話でフェイクに騙され久住を取り逃がしたことは痛烈な失敗体験とでも言うべきだろうか。あの時は騙されてるなんてわかんなかったからもう仕方ないじゃん?と言える伊吹は本当に今を生きてる奴で、まだあの晩の出来事を失敗として悔いていないのに対して、久住と直接やり取りを交わしていながらフェイクだと見抜けなかったことに「俺としたことが」という苛立ちと後悔が止まない志摩。あの時仮に久住を追っていたとしてもフェイクが作動した以上は搬送が遅れることは必至だった(久住を捕らえて止めさせるのと糸巻がフェイクだと見抜くのとどちらが早いか考えても恐らく後者)ので、病院を選んで後悔してるのは、フェイクが見破れず陣馬さんがこんな状態になるんだったらせめて久住のひとつでも逮捕してれば少しはマシだったのに、的な感情なのかもしれない。「昔の俺なら迷わず久住を追ってた」って平和ボケして感の鈍った殺し屋みたいなセリフだな……とふざけた感想は置いておいて、俺が悪いの?と噛みつく伊吹にお前は関係ない、他人に判断を任せた俺のミスだ、と言う志摩よ。それはどう考えても伊吹は自分のせいだと言われたように取るでしょうよ。伊吹と組んで変わった自分を否定するということは、間接的に伊吹を否定したことになるわけで。意識としては「自分のせい」でも相手からすれば「お前を信じた俺が馬鹿だった」と言われたようなもの。それは伊吹も志摩?知らねーになってしまう。
この車中の一連のやり取りは志摩にしては話の筋がスマートじゃなく、精神状態の悪さが推察される。というのも、この志摩らしからぬ喋り方は6話の香坂マンションでの回想シーンと重なるものがあるからだ。遺体を発見して陣馬さんと屋上に行った志摩は、質問に対して噛み合わない返事をしたり"今日"の話をしてるのに昨夜とか以前とか時間軸のずれた要領を得ない物言いをする。普段ではあり得ないその返答に彼の動揺の激しさが窺えたが、久住を取り逃しかつての相棒が死にかけている今のこの状況も、いつもの冷静さを欠くには十分なのだろうと思う。九重が糸巻に言った「自分が相棒だったら結果はもう少し良い方に違っていたと思う」は今の志摩にとっては「伊吹が相棒でなければ〜」であり、前話まで上手くいっていた分の揺り戻しがキツい。

志摩にも否定されガマさんにも面会拒否された伊吹は「刑事を捨てても俺は許さない」と繰り返す。拘置所を出たところで呟く方は脚本のト書きに「無意識に」とある。信じていた、自分を真っ直ぐ走らせてくれていた二人に切られた伊吹は、「悪い奴はぶっ殺しちゃえばいい」に「刑事を捨てても俺は許さない」を足した最悪のパターンに足を突っ込みつつあるようだ。
一方で志摩の方は伊吹のあの言葉を思い返しながら一人RECの元へ。伊吹は志摩に見限られたように感じているが志摩は本当に自分に原因があると思っていて、「こいつと一緒なら間に合う」バイアスが解けたいま彼が考えているのは「伊吹が正しいまま走れるようにすること」だけ。そのためには失敗した原因である自分からも正しいままでいられなくなる原因となるであろう久住からも切り離すことが必要だと思って動き出している。もうとっくの昔になかったことになってただろう伊吹の適性判断の話まで持ち出して。「進退は自分で決めろ」とかつての相棒に言った志摩が「任されてたんだよお前の進退を」と伊吹に言うのが、自分で進退を決めさせた相棒は死んでしまい、だからこそ己に決める権利がある相棒のことは死なせまい人殺しもさせまい、という意思が迸っているようで胃が痛い。大切だからこそ傷つけて突き放すような方法でしか距離を取れないところに志摩の不器用さを感じる。伊吹にぶん殴られてもやり返さないのはコミュニケーションを取る気がない=全部一人でやるともう決めているからで、志摩が暴走しそうだという伊吹の勘は悲しいことにど真ん中を貫いている。ちなみに、伊吹が志摩を殴ったのは進退を握っていたことを隠していたからではなく(恐らく1話の様子からしてそれはもう察している)、お前を置いて独断専行します宣言をもっともらしい理屈をつけて提示されたからだと考えている。もしかしたら盗聴器を仕掛けるために一発芝居を打つつもりではあったのかもしれないが、あの拳に込められた本気の度合いはそう低くはないように見えたので演技というよりは素の怒りの発露だったのだろう。

この文章では「志摩は伊吹に正しいままでいてほしいと思っている」という設定をベースにしてこんなに長々と語っているわけだが、実は本編で明言されるのは最終話の九重とのシーンが初だ。それ本人に直接言ってやれよ案件すぎる本当に。
伊吹には正しいままでいてほしいという願いはもはや身勝手な祈りでエゴだ。でも、そうである伊吹なら刑事としてきっとたくさんの人を救えるだろうという部分に帰着する、志摩個人を救うための願いではない(伊吹がそういう刑事でいることに志摩が救われるのならそういうことにもなるのだろうが)。
現時点で志摩は刑事を捨ててもいいと思っている。ただ、「伊吹を正しいままでいさせられるなら自分はルールを逸脱できる」というのは半分くらいで、もう半分は「疲れたからもう辞めたい」だと思う。オリンピックに反対していたおじさんの「もう疲れちゃった」はまさに志摩自身の状態を的確に表した言葉で、RECに零した警察官を辞めたいのかもしれない、もう疲れたという言葉はRECを落とすための演技じゃなくて本音だったんだろうなと。志摩のようにルールを守ることに重きを置いている人間ほど、正攻法では太刀打ちできない久住への苛立ちや無力感はきっと強い。おたくらが大事にしてきたもんいっこも効かへんけど?と笑いながらひらひらと罪を重ねる久住に警察官としての矜持を失わずにいられるかという試練の時のようにも感じられる。九重の体当たりの言葉に動かされてなんとか二択の分岐まで戻れて本当に良かったぞ志摩……。警察官として動く=伊吹と二人でやる or 一人でやる=刑事を辞める。「ルールに反することはしない、単独行動も絶対禁止」と釘を刺されてそれかいという感じだが、結果的に盗聴器に気がついたので九重様様である。
さてその盗聴器を仕掛けた伊吹の方は、一番大事なところを聴く前にイヤホン剥ぎ取って立ち去る最高の間の悪さで最低の最後のスイッチが入ってしまう。伊吹の言う「志摩の真似」は恐らく1話を指していて、お前のこと信用ならんから仕掛けといたわというあの時の仕返しみたいなもの。相棒なんて一時的なもので解散したら終わり、というのは6話の桔梗の言葉の引用だろうか。もうどうでもいい、互いに自由にやろうぜと言う伊吹は完全に自棄になっていて志摩の言葉も届かない。共依存どころか対等な信頼関係までバキバキになってしまった404。そして迎える運命のバットリ。

志摩も伊吹も二人してあの幻覚を「最悪な夢をみた」と表現した。二人がみたものは一人で突っ走ったことで払わされた可能性のある代償の形、もしかしたらあり得たかもしれない未来のひとつだったのだと思う。本心ではあるけれど刑事でいる以上は叶えてはならないと自覚のあるものが叶ってしまう、そしてそれと同時に大事なものを失ってしまう世界。一度その「最悪」を目の当たりにして目覚めた二人は、自分たちがまだ「最悪の事態になる前」の地点に立っていることに気がつく。一人で突っ走った先の地獄を見た後にまだ「間に合う」と悟った二人は何を選択するか。結論は自ずとひとつ、また相棒と一緒に走ることだ。
額をぶつけ合って言う「目ェ覚めたか」は「夢から覚醒したか」と「一人で走るのは馬鹿だったと気づいたか」のダブルミーニングであると共に、対話を拒否するように伊吹の一方的な拳で終わったあのやり取りのリベンジ。我々が言葉であれこれ語りたがるような難しい理屈はあの時の二人の間にはなく、ただ最悪な夢を見て目が覚めたらちゃんと相棒が目の前にいた。ただそれだけでその時は十分だった。その上陣馬さんが無事ならもう言うことはない。また二人で全力で走り出すのみだ。屋形船に久住を見つけた時の「行ってくる!」「行ってこい!」の力強さと清々しさといったら涙が出る。

とはいえバットリでみた夢をきっかけに二人の意識が変化したのも事実。久住にかけた言葉はあの夢を経て彼らが出したひとつのアンサーだ。
では二人がみたものはそれぞれ何が最悪だったのか。※ここでは前半が志摩のみた方、後半が伊吹がみた方と解釈して話を進める。

志摩にとって最悪だったのは、死んで楽になりたいと望んだことと確実に伊吹に久住を殺させてしまう状況に陥ったことの2点。「ブーメランを食らいながら清く正しい刑事で居続ける」は、アンナチュラルの中堂さんの言う「許されるように生きる」に相当する香坂への贖罪でもあり、伊吹の「刑事辞めたりしないよな?」に対する契りでもあり、警察官としての矜持でもあった。それをもう手放して楽になりたいから殺してくれて構わないと夢の中の志摩は言う。しかも、自分が死んだら伊吹は久住を確実に殺すと認識した上で。あれだけ伊吹には正しいままでいてほしい、人殺しなどしてくれるなと願った自分自身が伊吹に引き金を引かせる。相棒の死がどれだけの喪失をもたらすのか知っている自分が、相棒を相棒を亡くした男にする。「それでええの?伊吹が不幸になるんとちゃう?」は久住の顔と声を借りた自分自身の言葉なので、志摩は自分の行動で伊吹が不幸になるとわかっている。わかった上で、本当の俺は自分勝手なんだと自分を撃たせた。死んで楽になりたい、が本心だとしても、そのために伊吹に道を踏み外させることを良しとした夢の中の自分は志摩にとっては紛れもなく「最悪」だったのではないかと思う。伊吹が殺されそうになり拳銃を抜いて安全装置まで外したことに関しては、個人的には「最悪」とは考えておらず、9話で伊吹に言った「安心しろ、俺も許さない」が「俺も殺す」という意味で言っていたのだということの補強として捉えた。

対する伊吹にとって最悪だったのは、自分のせいで志摩が死んだことと久住を殺してクズに戻ることの2点。志摩の言葉を無視して一人で突っ走ったせいで志摩が死ぬ羽目になる、というのは説明するまでもなく「最悪」。後者の方は元々そのつもりで行ったんじゃないのかと言えばそうだが少し事情が違う。伊吹の夢の中の伊吹の思う志摩は、自分が撃たれて死にそうになっている時でも伊吹に「殺すな」と言うのだ(中の人曰く「この局面でもそう言って伊吹を止めようとする志摩が眩しく見えた」そう)。そんな、これまで自分を真っ直ぐ走らせてくれた相棒の最期の言葉を振り払ってでも伊吹は久住を殺してしまう。刑事であることを捨ててクズに戻ってしまう。自分のせいで相棒が死ぬ、そしてその相棒がずっと心を砕いてきたことも今際の願いも全部自分自身が無駄にしてしまう。それが伊吹にとっての「最悪」なのではないか。

その「最悪」を経て、伊吹は「許さないから殺してやんねえ」、志摩は「生きて、俺たちとここで苦しめ」という答えを出した。現実世界の彼らは夢でみた「最悪」の逆を選んだ。私的制裁ではなく法というルールの中で裁く、クズには戻らず刑事のままでいる、自分はもうガマさんとは同じにならないという宣言。死ぬという楽に逃げない、ブーメランを食らいながらウイスキーは飲めないまま刑事を続けるという宣言。「殺さない」ではなく「殺してやらない」なのは志摩の「そんな楽さしてたまるか」をわかっていたかのような言い方で、それを受けた志摩は伊吹の言葉に頷いてから口を開いた。違うものをみながらも二人が選んだものは繋がっていた。逆を選べたのはいま隣に相棒がいるからで、二人の宣言は恐らく"相棒が生きている"という条件付きのものではある。でも、伊吹が生きていれば志摩は死なないし、志摩が生きていれば伊吹は殺さない。それは相棒ありきというよりは、「自分が刑事としてちゃんと生きることが相棒を刑事として生かす」という縛りとして機能するような関係だと思う。

とは言ってみたものの、実際あの時点では解決していないことはたくさんあり、それは外野の我々が知らない例えば空白の1ヶ月だったり2020年7月までの何ヶ月かの中で少しずつ解決したりしなかったりしてるんだろうなと。最後の「間違えてもここからだ」「そゆこと〜」は視聴者にとっては屋形船のシーンから3分後の出来事だが、彼らにとっては辿り着くのに数ヶ月かかった答えであって、その間は本当にいろいろあったのだろうと考えるしかない領域である。
共依存からの信頼関係の崩壊を経てもう一度刑事として生きるということを選んだ二人は、最後に「こいつと一緒に走っても間に合わないこともあるかもしれないが、それでもまたやり直せばいい」というひとつの答えを出した。それは「共依存」を抜け出した先の「共存」という生き方なのではないかと思う。

この文章は、企画「#MIU4o4自由研究会」のテーマ「404の関係が『共依存』かどうか、それは11話の前後で変化したのか」に寄稿した文章を加筆・修正したものです。

きっと志摩一未も「投げる匙を持てないだけ」と言う

放送終了から1年以上が経ってもなお志摩一未の幻影を見続けている。パーマがかかっていて額があまり露出してない星野源の写真は全てジェネリック志摩一未に思えるし、「ほくろを描き足せば志摩っぽい」レベルのパッケージのお菓子の袋さえ捨てられない。他の作品を見ていても今のセリフ志摩やん……みたいなことを考えずにいられない脳の仕様はもはや不可逆だ。
そんな楽しい楽しい生活にぽいと投げ込まれた星野源の『Cube』という新曲。カナダ発のシチュエーションスリラーである『CUBE』、その公式リメイクたる日本版の主題歌。そんな曲を聴いて、これは志摩一未の言う「生きて、俺たちとここで苦しめ」だ、と思ってしまうのも、やはり自分が彼に囚われているからなのだろうか。

私は星野源が演じる志摩一未が好きだ。と言っても、志摩は星野源が演じることを前提に生み出されたキャラクターであり、他の人が演じる志摩というのは存在しない。そういう点で彼らは不可分の二人だ。そして、脚本家・野木亜紀子星野源から抽出して志摩に反映させたのは、彼の中の随分深いところにあるものだったように思う。
「いい人じゃない星野さんが見たい!」
それが単にポップなダンスミュージックの人、あるいは逃げ恥の平匡といったパブリックイメージを打ち壊すようなものであるなら、1話のゴミ箱や廃車で十分にお釣りが来る。彼女が描いたのはそのもっと奥の、平々凡々なぬるい人生を送ってきた人間には想像もつかないが想像することしかできない地獄というものを経験し、その先の人生もまた地獄であると認識しながらも生きていくことを辞めない姿勢だった。血反吐を吐くような思いをして、もう死んだ方が楽だと文字通り夢にまでみて、それでも苦しみに満ちた生を選ぶその心だった。以前から星野源を知る人はそうそうこれが星野源よ、と思ったのかもしれない。私は志摩一未をきっかけに彼に落ちたので、今ようやくその状態に辿り着いたところだ。自分の手の届く狭い範囲ではあるが、彼の他の曲を聴いたりインタビューを読んだりラジオを聴いたりエッセイを読んだりした。『Cube』を聴いてMVを見た。そうして改めて志摩一未を見て、流れ込んだ星野源の血の濃さに膝から崩れ落ちた。生きて、俺たちとここで苦しめ。それは、元々星野源の中にあったものと志摩一未が共鳴して出てきた言葉だったのだとわかって震えている。志摩一未を好きになったら星野源も好きになっていた。そりゃそうだ。こんなにも身体の内側の色が似ているのだから。志摩一未を描いたわけではない曲に志摩の姿を見出してしまうのは、彼のベースとなった星野源インサイドな部分がかなりストレートに表出されているせいなのだ。せい、と書くと非難するような字面になるが、野木星野両名が最高すぎてキレているようなニュアンスで受け取っていただければ幸いである。あのMVを見て志摩を想起するのを「想像力の逞しいオタクの性」で片付けるには、二人の距離はあまりにも近すぎる、と思う。
きっと、志摩一未は刑事でいることを辞めない。その理由を彼も「投げる匙を持てないだけ」と言うような気がする。

と、結んだ後で方向転換をするが、MV冒頭の東京湾マリーナみたいなやつ、あれは一体なんだ?????開始早々心臓が止まったMIUのファンは少なくないだろう。自宅にいたので叫んでしまった。予想外の方向から殴られると人は変な声が出る。
星野源がどういう意図であの場所を選んだのかはわからないが、恐らく彼の意図には掠らない騒ぎ方を私たちはしていて、かつ彼はそういうふうに反応されることも想定した上で何も言わずにあれを世に出したのだろうということはなんとなくわかる。これは『不思議』のMVが公開された時にも考えたことだ。MIUのファンがボーダーコリーの登場によってドラマのイメージやMVの世界観からは外れたところで感情を爆発させることに思い至らない人ではないだろう、という。志摩じゃん!!とのたうち回るファンを見て、そういうつもりじゃないけどやっぱりそう思うよねとほくそ笑んでいるイメージ。そうやって勝手に星野源の掌の上で転がされている気分になっている。
今回のMVは久住役だった菅田将暉の出演もあり、MIU的な解釈を一切しないまま受け取ることは正直難しい。見た直後の「志摩一未を当てはめて泣いてる」というようなIQ2のツイートはさすがに消したが、「メケフェレみが強い、完全に10話」的なやつに関しては、モデルプレスも記事にしてるしもうええか……と思ってそのままだ。先ほどいろんな言葉を並べて志摩の幻影を見てしまうのは……みたいな話をしたが、結局は「MIU脳だからそう見える」でFin. なのかもしれない。そうしているうちにやっぱりそれだけじゃない、と思い直して呻いて、またMIUフィルターかかってるから、と一歩引いて。終わりのない自問自答を、エンドレス再生の『Cube』を聴きながら繰り返すのだろう。

私は星野源が演じる志摩一未が好きで、志摩一未を演じる星野源が好きだ。


P.S.
この文章を書き終わった後にメイキングを見たら中の人たちが「久住感」と言い出して盛り上がっていて、なんかもう、免罪された感が凄い。ありがとうございました(完)


youtu.be

情緒分裂オタクの独り言

情緒分裂祭りが起こったので己を落ち着かせるために書きました。

ちょうど在宅の日だったのでギャラクシー賞贈賞式をリアルタイムで見てました。率直な感想としては驚きとがっかりと安堵が2:2:6という感じ。各成分の理由としては、まず「驚き」が優秀賞か大賞かきっとどっちかは取るでしょ?という予想をぶっ飛ばして入賞止まりだったこと(もちろん入賞するだけでも凄いんですが)。「がっかり」はそのまんま、推し作品に賞取ってほしかったという願いが叶わなかったこと。で、最後の「安堵」。何に安堵したのか。

3年前の第55回ギャラクシー賞、アンナチュラルはテレビ部門で優秀賞だったんです。

抜かれなくて良かった、と思わずそう思いました。自分でも引きました。

元々私はアンナチュラルが凄く好きで、MIUを見ようと決めたのもアンナチュラルチームの新作だからというのが一番の理由だったんですね。結果としてMIU404は期待を裏切ることなく最高のエンタメとして私の推し作品となった。志摩一未というやばい男と出会ってオタクライフは充実してます。MIU404ありがとう。

でも、私はMIUのことを手放しでは推せない。MIUがベタ褒めされているのを見ると、「その素晴らしいMIU404というドラマはアンナチュラルという素晴らしいドラマがあったから生まれたしここまでヒットしたんですよ!!!!」とメガホンで叫びながら突進しそうになる。MIUが何か評価されるたびに、それはアンナチュラルのおかげでもあるんですよと部屋の隅で指をいじいじしながら呟いてしまう自分がいるんです。クソめんどくせー!!!!

実際、MIUは作品が生まれた背景自体にも「アンナチュラルに対する批評である」という出発点があり、アンナチュラルで切り捨てたものをMIUで拾い上げるという構成なので、この2作品は対になってるんだぞ両方凄いんだぞ!!と訴えることに関しては問題はないかな……と思っています。世界線も同じだし、両作品の登場人物が交わったことで明らかになった真実もある。ただのドラマ好きとしてもそこは推したい部分だと思うので(決めつけ)
MIUがアマプラで配信されると決まった時、MIU404と併せてアンナチュラルがトレンド入りしたのもたぶんそういうことでしょう。

でも、その素晴らしいMIU(以下略)と叫んでしまう理由の半分は私怨です。何でアンナチュラルはメモリアルブックもシナリオブックも出してくれなかったの?DC版も8話だけなの?という恨み言です。あんなキャラクターのプロフィールや企画書の設定や裏話や解釈ひっくり返る情報やインタビューや解説や脚本との差分や放送版の補完を楽しめるMIUが羨ましい。MIUのオタクである私はメチャクチャ嬉しいけど、アンナチュラルのオタクである私は死ぬほど羨ましいんです。ミコトや中堂さんや六郎や東海林や神倉さんの知られざる情報で発狂したりDC版で出された部分に暴れたりしたかった。中堂さんの誕生日は9月10日ですが、これ資料めくった時に一瞬だけ見えるのをファンがコマ送りして突き止めたような判明の仕方なんですよ確か。どれだけ飢えてるかわかりますか。ミコトの誕生日は一体いつなの教えてくれよ。

もちろんアンナチュラルよりMIUの方が制作側から愛されてるとかそういう話ではないのは理解してます。だからこそ、MIUがヒットした前提にはアンナチュラルの存在があるんだぞと後方彼氏ヅラして溜飲を下げようとしているのです。まあ、下がりきらないのでことあるごとに黒煙が上がるわけですが……もしアンナチュラルでもメモブやシナブが発売されていたら、もしくはそこまでアンナチュラルにハマっていなければ、もっと爽やかな気持ちでMIUのことを推せたんだろうなと思って苦しくなることが時々あります。いや、アンナチュラルにハマらなかったらMIUにもハマってないか……笑

作品の評価は数字や賞だけで決まるものではないというのは重々承知。でも賞を取るというのはわかりやすい評価の形でもあるので、取れたら当然嬉しいものです。だからMIUにもギャラクシー賞で優秀賞か大賞をとってほしかったし、上記のような僻んだ気持ちもあって「どうせ」どっちか取るでしょ?というナナメな態度で構えていた自分もいました。そして結果は「ギャラクシー賞テレビ部門入賞おめでとうございました」で安堵6。アンナチュラルの勝ちでもなんでもないのにおかしな話です。「#MIU404 ギャラクシー賞テレビ部門大賞おめでとうございます!!!!」というツイートの文字を震える指で消しながら、良かったとため息をつく。複雑感情生命体にもほどがある。そして我ながら面白いのが、仮にMIUが大賞を受賞していても全く同じ記事を書くであろうということ。安堵6が悔しさ6に置き換わるだけです。呪縛が凄い。優秀賞受賞が一番丸かった気がしますね……(誰様)

つらつらと書き連ねましたが、誰かに何かをどうこうしてほしいわけではありません。メモリアルブック6度目の増刷決定ツイートに「※アンナチュラルの存在があってこそです!」とかついてたら気持ちが悪すぎる。ただ自分の気持ちを吐き出したかった。きっとこの先も、このめんどくさい自分と付き合っていかなければいけないので。もし私と同じような情緒分裂祭りを経験している方がいたらそっとエアハグをしましょう。

最後に。アンナチュラルもMIU404もどちらも素晴らしく最高の尊い存在です。ただそれを愛する私がいろいろ拗らせているだけ。どちらかを貶める意図は全くないことはご理解いただければ幸いです。

贈賞式の新井Pかわいかったな。入賞おめでとうございます!!

I♡MIU404サントラ その2

サントラ感想その2です。
vol.2の配信から4ヶ月経ってますが気にしないよ!!!!だってメロンパン号もまだ日本全国走り回ってるもんね!!!!
今回はvol.2の全17曲の感想を書きました。前回の感想その1で書ききれなかったvol.1の7曲に関しては、感想その1.5という形で別記事にまとめましたのでよろしければあわせてお読みください(こちらはライトな分量になっていると思います笑)↓
hakaishin.hatenablog.com


マチュアバス弾きのゆるっとした感想です!ゆるっとどうぞ〜

◇志摩一未 intro pizzicato ver.

この曲、一応アレンジ枠なのに1話からしれっと流れてて笑う。志摩がドラレコの存在に気づくシーン、最初はオリジナルのarcoの方が流れててそのまま何事もなくpizzの方に接続されてるんですよ(もしくはpizz ver.のarcoパートのバックのベースを抜いて順番入れ替えて使ってるのかも)
この後の話でもほぼ毎回登場するレギュラー曲。pizzの機動力がハンパなくて好き♡ ドレミッファッドッシッとかスーパー粒がはっきりしてて惚れます。


◇志摩一未 funk ver.

funk ver.って何???wwwwwwwwwww(聴く前)
お前か───ッッッッッッッッ(聴いた後)

7話、ジュリさんの服に付いた猫の毛から関係を洗い出そうとするシーンで流れてるやつだ。ここでいう「funk」は音楽のジャンルとしてのファンクってことでいいんですかね。全然詳しくないんですが何曲かファンク聴いた後にこの曲流したら「あ〜なるほどね……?」という感じになりました。ギターとバキバキのサックスの絡みとか1拍目に音がちゃんとあるところがポイントなのかなぁ。詳しい方いたら解説してほしい〜笑
このバージョンはわざと失礼な物言いして相手を感情的にさせて情報引き出すとかノリノリでブイブイ煽ってくる志摩……という印象。「あっれえ……おっかしいなあぁ……確かさっきはヨユーで捕まえるとかwwなんとかw、ゆっwwwてましたけどwwwwwwwww」とかナチュラルに繰り出してくるじゃないですかあの人。そういう部分出してくる曲だな〜と。楽しそうでいいね。


◇志摩一未 初期ver.

このvol.2の中である意味一番やばい。

最初はこのままボディパーカッションだけで終わるのか?と思ったら別ver.のメロディが乗ってきた。やはり頭の良さがうかがえるようなラインでニヤける。でもね……この志摩はどこかとっつきにくいし情が見えないんですよね……1話で伊吹に放った「行きますよ」のあのすかした感じがずっと続いているような。1'31〜ギターが入ってくるけどそれまでは打ち込みの音なのもあって文字通り「デジタル」な印象。もはや微笑ましくもあるこの「わかる奴だけわかれば結構、ついて来れない奴はここでさよなら」みたいな尖り方。ギターもコミカルというより聞き込みの時に発揮する刑事としての営業用社交性って感じで。絶対「刑事としては優秀なんだけどねぇ」って陰で言われてるやつだと思う。さてはお前、捜一時代の志摩だな??
というのを考えた後にお馴染みの『志摩一未』を聴いてみてくださいよ。人間くせえ〜〜〜〜〜〜!!!!って叫んで泣いちゃった。これよ……これが私たちの知る志摩一未だよ……あのストリングスが入ることで温度が上がって感情が滲んで見えるんですよすっげ〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜〜〜

副題の「初期」というのは楽曲の制作段階の話だと思うんですが、志摩一未という人間の変化ともリンクしているのが大変痺れますね。ボディパーカッションは初期ver.からほぼ完成形で入ってきているので、これは志摩という人間のベース・変わらないものと考えていいのかなと思います。過去の自分の言葉を借りると「状況判断が早く瞬時にプランを組み換える頭の出来とかクソ多い対人アプローチの引き出しとか伊吹に言わせると『むじぃ』こと考えがちな性質」ですね。
そして変化の部分。これじゃ今の志摩一未を表現するには不十分だ!となって新たに加わったのが"あの"ストリングスなの、あまりにもあまりにもすぎる。そして足されたのは何か。人間らしさですよ。ウッ……
DC版最終話で志摩は「俺は他人のことなんかどうだっていいんだ本当は。心配するふりして善人のふりして人間らしく見えるように振る舞ってるだけ」と言ったけど、それってそう在ろうとして努力しなければ成し得ないことで。他人がどうなろうと知ったことではないと見ないふりをして相棒を殺してしまった志摩は、贖罪の意識も抱えながら己の生き方を変えたんだと思うんですよね。野木さんに「捜一時代の志摩もひどかった」と言われる(Nogi
Note8話)ほどの振る舞いをしていたところから、様々な努力を積み重ねて今の志摩一未になった。相棒として伊吹に向ける顔は全部過去の自分を反面教師にし二度と過ちを繰り返さないという覚悟によって作られたものなんですよ。メロンパンの価格設定みたいなくだらない話にちゃんと付き合うのも、休みの日にかかってくる世界一意味のない電話に律儀に出るのもそういうことなんです。やばい、志摩一未へのクソデカ感情が止まらない。
上記の夢の中でのセリフは自分の作り出した虚像とはいえ久住へ向けられた言葉なので、ああいう「別に自分はいい奴なんかじゃないんだぜ」って物言いになったんでしょう。でもね、本当に自分だけが可愛い人は他人のために己の命を天秤にかけるような職業は選ばないのよ志摩ちゃん……なので、もしかしたら他人に情を注がないみたいなスタンスは捜一という過酷な環境に身を置いていたが故に形成された部分もあるんじゃないかという気はしています。人格って環境によって変わるもんね。免許試験場や奥多摩で過ごしながら、失っていた情を取り戻していったのかもしれない。
そうやって志摩が後天的に獲得した社会性や彼曰く人間らしく見えるような振る舞いというものを、『志摩一未』を『志摩一未』たらしめるエッセンスとなったストリングスに見出せるの凄まじくないですか?冗談じゃないよ。そんでもって我々がどういう部分に志摩一未を感じているのかということもわかってしまった。初期ver.の存在、おっそろしいマジで。

シナリオブックを参考に楽曲の変遷を推測すると、「塚原さん曰く『4機捜』では使えるが志摩の曲ではない、得田さん的にはクールな志摩を目指したジャズフィールな曲(デモ)」→ボディパーカッション含む楽器やイメージなどのアイデア→『志摩一未
初期ver.』→『志摩一未』『志摩一未 intro pizzicato ver.』『志摩一未 funk
ver.』という感じでしょうか。志摩のメロウな部分がまだ描かれていない1話の脚本だけを読んで作られた(故に志摩というキャラの持つ複雑さが表現し切れていない)曲というのは上記のどこにあたるんでしょうね。気になる。デモから『志摩一未』までの間に作られたやつ全部聴かせて、、、
その後いろいろ擦り合わせがあったにしても「のちのちメロウになるから、志摩一未は」だけであの『志摩一未』に辿り着くのハンパねえっすよ。しかも星野志摩との解釈のズレみたいなのも感じなくて。脚本上の志摩と比べて星野志摩の方がなんかこう……柄が悪かったり血が熱かったりウエットだったりするじゃないですか。そこに違和感なくフィットしてくるというか、あの芝居見て作ったんですか?と思うようなクロッシング具合なんですよね。あの脚本からあの志摩を生む源さんもヤバ……という感じですし凄い人しかおらんもう。

あと感動したのが、『志摩一未』の一番最後に登場するギターが初期ver.の名残であると判明したこと!途中一切出てこないのにラスト一音で突然出てくるから何なんだろうって思ってたんですよ。そうかそういうことだったのね……とめちゃくちゃ腑に落ちました。あの余韻で曲が終わるのいいよね、、、テクノ系サウンドが入ってるのも初期ver.から引き継がれたのだと思うと大変良い。


◇MIU404 cello melody ver.

どこがチェロに?!と思ったら1'12〜のイーリアンパイプスのところでした。2'24〜のところはそのままなのね。チェロの方が優雅で大人しく収まってる印象。個人的にはやっぱり弦=志摩、イーリアンパイプス=伊吹だと思っているので、オリジナルの方が二人で走ってる感じがして好きではありますね。しかしあの滑らかなスラーはいいな……音の抜き方も心地良い……もはやチェロという楽器そのものがずるい…………(チェロずるいしか言わないブログ)


◇安全に留意して対応してください

キタ━(゚∀゚)━!
これは勝手に「加々見のテーマ」と命名してた曲なんですが、よく聴いたら後のエピソードでも登場してたので撤回!!!!

テーマを弾くピアノがわずかにエフェクトかかったような音で不安。0'41〜テレレレレレレレテレレレレレレレという上昇音形がずっと繰り返されるのも気持ち悪いですよね。1'19〜伴奏のリズムが細かくなってより切迫感が。プワァーーーーーーンみたいな音が通り過ぎちゃいけないところを通り過ぎてしまってる感を出してきて非常に嫌。あとカンカン……!カランカラン……!みたいな工事現場的なやつ怖い。1'31〜の中低弦の刻みに1'42〜ヴァイオリンがタリラリラリラリラリラリラリラリって迫っては引いて迫って引いてするのやめて〜〜てか1'50で一回切り返しますよね……?タリラ"タリラリラ"って。
何だろ〜気になる。一度気づくと絶対そこ意識してしまう。1'54〜一緒に刻んで追い立てて来るのも怖し。

2話では加々見の心象風景そのままでヒ〜なりますね。加々見を犯人と仮定しとりあえずひたすら走っていた田辺夫妻・404・視聴者が「もしかして犯人は岸……?」とぐらつくシーンでもある。
あと8話。8話ですよ。伊吹宅にやってきた志摩が、気づかないふりをしている伊吹を丁寧に容赦なく詰めていくシーンの曲がこれ。ヒ〜〜〜。伊吹は脳に入ってきた情報の言語化と論理立てた説明ができないだけでお前が言うところの「勘」にはある程度の根拠があり信憑性が認められますって分析した後に「お前の勘は、いま何を感じてる?」ですよ。客観的事実や証拠を重ねて、これでも気づかないふりを続けるのか?と揺さぶる。逃げ場の潰し方が上手すぎるだろ。イヤ〜〜〜〜
曲による緊迫感の増幅がたまんないですよね〜〜〜こんなに心臓に悪いぶち切り方もなかなか。何度でも思うが二人とも演技がうめえな……………………


◇帰ってこなかったらどうしよう marimba melody ver.

沁みる。
本当に収録してくれて嬉しい。いやマジでめっちゃいいアレンジ。マリンバっていうのが最高なんよ……あの深く包み込むまあるい響きの音、特に低音やばいよね……真面目に左手の分散和音だけでも永遠に聴いていられる。0'17や0'44あたりの装飾がつく音好き(これはオリジナルの方も好きだったか……笑)
聴き比べるとオリジナルのピアノをきれいにそっくりマリンバに置き換えた感じですかね。コーラスやストリングスは同じ。構成を変えずに楽器チェンジするだけでこんなにも違う曲になるんですね〜
って思ってたんですがのっぴきならない事態が発生しました。
ラスト(2'50〜)の跳躍を繰り返すところ、オリジナルとmarimba melody ver.で音が違う。えっマジでって感じじゃないですか????マジで??これはブログ書き終わるまで黙っていられないと思い速攻でツイッター開いて呟きました、笑
フォロワーさんの意見も参考にじっくり聴き比べた結果、オリジナルはファ♯とシの跳躍なのに対してマリンバの方はミのオクターブで跳躍してますね〜〜〜何なんだよ〜〜〜〜〜意識して聴くと印象が変わるので是非この部分だけでも聴き比べてみてください!!!!!!!!やってくれるな得田さん!!!!
本当は「ラストの跳躍はピアノもいいけどマリンバは何か本職感あるよね」みたいなことを書こうとしてそこだけ並べて聴いたんですよね。いやーーー思わぬ発見でした。

登場するのは5話のマイちゃんが日本を嫌いになりたくなかったと涙をこぼすシーン、あと9話のハムちゃんがみんな表ならいいのにねと呟くシーン。ここで凄いのが、同じ曲なのに使われるシーンによって全然雰囲気が変わるところ。前回の『初動捜査』の感想では「使う曲によってシーンの重みが変わる」というようなことを書きましたが、その逆もありますよね。5話はこの曲の持つ遣る瀬無さや罪の意識のイメージを増幅させ、9話は切なさやマリンバの柔らかい熱を増幅させた。その結果、同じ曲が違うように聴こえる、という。もとの曲にいろんな要素が入っているからこそこういう使い方もできるんだろうな……苦しくなるシーンでも温かさを感じるシーンでも使えるって凄い。


◇手分けして捜査だ

知ってるぞこの曲は〜〜〜!3話でドーナツEPについて元4機捜分駐所で話してる時のやつですね。今思うと分駐所にしては部屋狭いな。

0'22〜耳の奥にぼわ〜んと広がるベースが好き。0'34〜メロディを抑えて存在感を放ってくるビブラート満載のロングトーン、音の太さ的にチェロですかね……?バックのベースの動きとチキチキ刻んでるシンバルが小気味良くて最高。これめちゃくちゃかっこよくない?!??!!痺れる……
突然のワープタイム(1'17〜)
急に宇宙空間に飛ばされてビビる。
1'27〜ワープから復活する前のブゥゥ……ンってやついいよね!!!!復活してからベースとシンバルのリズムがまた最高になってて爆発。カッケェ〜〜〜!!!!
1'50〜また凄い存在感で入ってくるこの人は誰?チャルメラみたいな音だけど打ち込みかなぁ。よくわからんけど好きだ。あと下で支えてるチェロね!!豊かな低音。ひりつくような高音もいいけどやっぱり下の音が良いんですよ。最後の和声、弦が消えた後も残ってるやつ、何か宇宙的で面白い。


◇警視庁から各局 inst ver.

inst ver. とは?となりつつ聴いたらコーラス抜きということでした。シングルについてくるoff vocal(伴奏オンリー)のやつみたいな。コーラスないと全ッ然物足りないですね。あの威力は凄いや……やっぱり楽器の音と人の声は全く違う性質があるな……と思っていたら、2周目のサビ(3'34〜)はメイン以外のコーラスは聴こえるんですよね。本当にoff
vocalっぽい。
そして私はここで初めて「『警視庁から各局』は1周目のサビはメインコーラスのみで2回目のサビでバックコーラスが加わって厚みが増す」ということを認識しました。これ前回言及してないです何故なら認識していなかったので……!!マジか〜〜マジか〜〜〜〜!!!!今聴くと明らかに違うんですが気づいていない時は本当に"聴こえていない"んだな、、、これに気づくきっかけになったのでinst
ver.万歳です。ありがとうございます。
このコーラスはKOCHOさん一人で8人分くらい歌ったものを重ねているとのことでびっくりでした(シナリオブック対談にて)


◇さすが相棒!

はじめまして〜〜〜〜!!!!!!!!
マジで知らん曲きた。これもしかして当初の予定通り14話で作ってたらお目にかかれた(お耳にかかれた?)かもしれないやつですかね?くそコロナめ。
ギターのアコースティックな感じと電子のぺろーんな感じの融合が和みますね。これアンナチュラル2話でミコトと六郎が足湯に浸かってるシーンのサントラと差し替えても違和感ない、笑
スーパーの野菜売ってるコーナーで流れてそうな感じもある。ほっとほっとできる箸休め的な息抜き的な曲。


◇頭の中の藻屑

ダウンロードしてタイトル見て絶対あの曲じゃんってなった。案の定あの曲でした。

ピアノーー!!!!ペダルーーーー!!!!って感じ。ずーっと音が響いていて地に足が着かない。浮いたまま何処かへ流されてしまいそう。このピアノの後ろで鳴ってる音が管楽器なのか何なのかよくわからないのも奇妙な浮遊感に拍車をかけてますよね。クラリネットっぽい音がするけどたぶん単体ではなくて他にも鳴ってる気がする。1'11〜音がぶつかって気持ち悪くていい。あと砂嵐のようなノイズがずっと鳴っていたり最後泡が弾けるような音が入っていたりちょっと不気味でもある。

久住は東日本大地震の被災者なのか?という憶測もあがった印象的なシーンの曲(その後「お前たちの物語にはならない」とバッサリ斬られ多くのオタクが撃沈した)
『頭の中の藻屑』台詞ドンピシャの曲名だと思うんですが、実はこの曲、すでに2話の加々見の車中独白シーンで使われてるんですよ。え、じゃあこのタイトル何?最終話のセリフだよ?ってなりますよね。たぶん元々は別の名前がついてて、vol.2で配信することが決まってから付け直したんじゃないかな〜と勝手に考えてます。こっちのシーンの方が印象強いもんね。もしそうなら元のタイトルが何だったのか気になるところではあります。


◇大切な時間だったなぁ

一番最初に聴いた時の自分の感想が面白いのでそのまま貼り付けます。

これもモロそのシーンですね。と言いつつ初登場は5話。温かくもちょっと切ないギター。ウィンドチャイムはずるいわ。エッヴァイオリン??!?!!アーアーアーとんでもないぞ。嘘チェロまで待ってこれは良曲。何何何何何何本編でここまで使ってないだろ???てか使わないのかよここを!!!!!!!!!!!ハァ〜???なんだこの曲。なんだこの曲。

動揺が凄い。いやでもこの曲本当にとんでもないもん隠し持ってて爆発しないのは無理。
最初はギターあったか〜い優し〜いみたいな気持ちになって、1'14〜のピアノとグロッケンで空に瞬く星たちを見てるような気持ちになるんですけど、1'41〜ヴァイオリンが入ってきて感情がア゚!!!!!!!!!!!ホットミルク美味しい〜と思ってたら急にアルコールになってんすよ。待て待て待て待て。ヴァイオリン様、ロングトーンと上の音への跳躍が美しくて惚れる。か!!ら!!の!!チェロ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ
切なさでどうにかなりそう。この慈愛に満ちた音よ……チェロ持ってくんのは情緒を破壊しに来てるでしょ…………うぅ……
2'26、一緒にメロディやってるギターだけ装飾音ついてるのが好き。チェロ→ヴァイオリンへのバトンタッチも最高。ただの焼き増しじゃなく音形が少しずつ変わってるんですよね。核になるシーラーレーシラーに繋がるアウフタクトが、4分音符→8分音符→16分音符とどんどん圧縮されていくのも良い。はじめて聴いた時『帰ってこなかったらどうしよう』のサビの旋律来る?!と身構えた記憶があります。最初の部分が全く同じなんですよ〜とんだフェイントだぜ、、、、、伴奏のバスのpizzが大変goodです◎
こんなにドラマティックな部分が本編で使われなかったの惜しいなあとちょっと思ったりしました。


◇MIU404 comical ver.

武蔵野うどんのテーマだ!!!!!!
まごうことなきコミカル。聴いた瞬間から脱力。このゆる〜っとした感じが最高すぎる。コッ コッて入ってくるパーカッション好き。オリジナルのイーリアンパイプスメロディの部分がカットになって代わりにストリングスの刻みが入ってるのも良い。テンポが落ちてもメロディのヴァイオリンのキレが健在なの嬉しいな〜
このシーン、男6人が横並びになってうどん啜ってるのジワる。報告だけなのにわざわざ手土産持って来てくれる毛利向島バディ、すこ、、、、


◇超いい仕事じゃん

フィドル?!??!と思ったら突然の島感(※誤変換ではない)
三線みたいな音が聴こえる。これも本編では使われてないですね〜幻の日常回なら登場したかもしれない。温泉旅行に行く回とか……


◇MIU404 piano ver.

王道なピアノアレンジ。これはメインテーマだけど、主題歌がピアノアレンジになって作中で流れるやつはみんな好きですよね?
個人的にはこういうテンポ落としたしっとり系よりオリジナルのテンポそのままガンガンいくピアノアレンジ聴いてみたいのよな……疾走感全開のやつ……と思ってYouTubeを旅してたら見つかりました素敵なやつ。ピアノのセンスが欲しかった〜〜!!!!と思ふ。


◇過去の事件

来ましたよ成川のテーマが。
この曲はね〜曲全体の雰囲気が好きですね……水彩画のようというか、水の上に落としたいくつものインクの色がどこまでも広がって重なって混じり合うような、連綿とした感じ。
0'30〜の伴奏の伸ばし、コーラス入ってるように聴こえて気になる。人の声に聴こえませんか?メロディが同じ音形を3回繰り返すと見せかけて3回目の終わりから展開していくの好き。0'55〜ぎゅっと音の質が変わってビートも前に運ぶものに変化するの良い。このエフェクトかかった感じが何ともノスタルジック。ベースの音が太くなることで重心が下がって安定感が。
1'24〜26にかけての急激なクレッシェンド痺れる。さっきまでベースはエレキっぽかったのにサビ入ったらチェロっぽい音ですね……?1'45前後凄く好き!ポポポポポポポポみたいなやつが数珠のように繋がってるの良い。終わりに最初のメロディに戻ってくる構成、みんな大好きだよ。

勝手に成川のテーマと呼んでいたように、成川絡みのシーンで流れることが多いんですが一番印象的なのはやっぱり3話かな。襲われた真木カホリを助けるために追いかけっこをやめるところ。このシーン、ライティングもすっごく良いんですよ。夜の闇の中オレンジの光に照らされる伊吹。フリッカー出てるのがまた乙で、まるで火のそばにいるようにも見える。反射?で画面にオレンジの光が広がるのが2回ほどありそれもまた良くて。画のインパクトもあって非常に印象的。だからサントラvol.1で『どうする?逃げるか来るか』という曲名を見た時真っ先にこの曲だって思ったんですよ。いざ聴いたらホラー映画の曲だったのでずっこけてしまいました。お前かーい。
チャリで爆走する志摩がブチブチにキレててこっわ…………となるシーンでもありますね。


◇悔いても悔いても時間は戻らない

メンタル破壊神降臨。
タイトル厳しすぎん?キツいよ〜〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜
MIUのサントラでは珍しく3拍子ですかね。イントロとか途中におや?となる部分はあるけどフェルマータとか拍子変わる小節が入ってるんじゃないかと思い〼。0'27〜のチェロの音下がるの好き。曲が進むにつれて、音のない時間が短くなっていくのが特徴的。平静を保とうとする心に波が立って、次第に抑え切れなくなっていくようなイメージ。うーんこれどう考えても志摩だな…………
1'14でCの音一本にまとまるのにハッとする。1'18〜ピアノも入ってメロディが動き出すんだけど何故こんなに悲しい音になるのか。全ての音が悲しい。大サビ?の前に休符があって無音になるのがたまらん〜!これゲネラルパウゼと書いてあってもおかしくなさそう。ちなみにゲネラルパウゼというのは「ちょっとでも音出したら殺すぞ」の意です。1'54〜バスのpizzハチャメチャ美味しいな??!!??!これを弾くために生まれたと言っても過言ではない。存在感パネェ……ウメェ…………
2'29〜2'39和声の移ろいが狂おしいほど好き。
やべえ〜〜〜〜〜〜天が才っちまってる……解決しそうな音で向かうのに解決させてくれない2'34マジやばいのよ。ベースの音、前の音聴いたらミ♭ソシ♭とかそういうのになりそうなところをそうは問屋が卸さぬのがこの曲。最初聴いた時は何か衝撃でしたね……この曲調でハッピー和声になるわけないんだけどオオオそう来る?!的な……
大サビ、6話のカットにもあるような雲の間からうっすら日の光が漏れるような僅かな明るさのようなものがあるのが逆に苦しい。決して苛立ちだけではなかったであろう、香坂と過ごしたもう戻らぬ日々への追憶。そんな感じの切ない響きですよね。
一番最後の音、アスファルトに横たわる香坂の体温に絶望した志摩を音で表現するとこうなるんだろうなという音がする。

この曲、志摩の「行かなかった」というセリフをきっかけに始まるわけだけど、伊吹の「あの夜、屋上行ったの」から「行かなかった」までの間、放送版が約4秒に対してディレクターズカット版は約23秒もある。気が触れる。こんなにヤバい溜め見たことねえ。
2話で志摩が犯人が「やっていない」と言うのは犯人自身がそう思いたいからだ、と言うけど、それはまさに彼自身がそうだからだと思うんですよ。「生きてる香坂に"最後に"会ったのはいつ?」という問いに2つの場面をあげるの、いつもの志摩ならあり得ない答え方で。彼はあの時声をかけた、誘いに応じて屋上に行ったと思いたかった。本当は違うとわかっていても、口に出して認めるのはどうしようもなく痛いことだから。そうして現実と願望の狭間をふらついていた志摩が、伊吹を前にして現実という地獄に目を合わせるまでの葛藤を表現したのがあの23秒間というわけです。エグいくらい上手い。
そして間(ま)という表現方法の選択を可能にした役者星野源の力量。音楽の助けもなしに表情と仕草だけで間に意味を持たせるの凄まじくないですか?(途中ちょこっと伊吹のカットも入るけども)
あれだけ息を詰めてセリフを待つことそうそうないよ。そして絞り出すように吐かれた「行かなかった」
あの泣き出す寸前みたいな声音さぁ〜〜〜〜〜〜志摩ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!星野ォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッ
無理オブ無理。その後の志摩の独白と『悔いても悔いても時間は戻らない』の組み合わせがクソしんどいのは言うまでもないことですね。地面に落ちるランプ→パチンコ玉→横たわる香坂の重ね方オーバーキルがすぎる。
ここからの「タコ?」からの『MIU404』がまたすごいんだよなぁ〜〜〜このあたりの緩急というかスピード感大好き。
さんざん志摩志摩言いましたがこの曲、青池に心臓マッサージする伊吹のシーンと麗子さんが車に轢かれるシーンでも使われてます(鬼)



◇俺は凄いことに気づいた

曲順〜〜〜〜!!!!『悔いても悔いても時間は戻らない』からのこれ、この世イチ正しいんだよな…………圧倒的救済……

まずこの希望しか予感させないイントロ。メロディはピアノっぽい音の後ろにチェロっぽい音も聴こえる。0'24で立体的というか奥行きが出るのが好き。まるでドローンで撮影しているようなスケール感。街が小さくなり日本が小さくなり、地球越しに顔を出す太陽を衛生軌道上から眺めている───みたいなイメージすら湧く(ポエム) 電子のベースとドォ…ンっていうやつがいいよね……!!メロディは安定のチェロ様。伸びやかで美しい。
1'01〜テンテテンテテテテンテテンテテテってやつ好き。1'05〜のチェロ、曲が展開するのにその前より音域下がってるの面白い。この辺のヴァイオリンの伴奏、米津さんの『orion』のAメロの感じと少し似てる気がする。煌めき要素。あとスネア入ってくるのいいよね〜〜〜
それでね、この曲の一番好きなところが1'21〜なんですけれども。これまで何度か使おうとして自重してきた表現をついに使いますね。あまりのエモさに漏らしそう。こんなの……こんなのやばいでしょ……1'25〜の和声…………1'21〜から数えてチェロの伸ばしの3つ目に鳴る音、メチャクチャたまらない気持ちになりませんか?ぐーーーーーっと来ません???私は漏らしそうです(二度言うな) ここ、メロディのチェロは2つ目と3つ目で同じ音が続くのに対して、ベースは3つ目で半音上がるんですよ。それがもうとんでもなくエモ。エモのカンスト。この込み上げてくるものの熱さ、完全に6話とリンクしてる。ヴァイオリンの細かいやつの展開の仕方もまたエモ。意識してヴァイオリンだけ抽出するとヤヴァイ。「エモい」という表現、流行りすぎて逆に陳腐になる気がしてしばらく控えてたんですが、これこそが「エモい」と言うべきものだと思いました。って書いたところで『志摩一未』の感想でもエモい言ってたことを思い出しました。てへ……
1'37〜、大サビの前にイントロのメロディ持ってくんのすこ!!1'45〜ついにヴァイオリンへバトンタッチ。この部分から全体の拍感がMIUサントラではお馴染みの3+3+2ですね〜
ホルン(かな?)のオブリガード的なの良い。2'33〜音高いね、笑 2'45〜高揚が抑えられない!という感じの8分音符で高まって終わるのgood〜

こんなに光に溢れた曲って作れるんやな?!??!!第2の『伊吹藍』と呼んでも差し支えないほどの伊吹力。果てのない空。なんだか少し『空飛ぶ広報室』の雰囲気にも似ていて泣きそうな自分がいる。過去は空に溶ける……ウッ
志摩がスイッチを見ないふりをしたことも香坂が命を落としたことも変えようのない過去だけど、あの夜香坂がどう生きたのか知ったことで志摩の未来は変わった。次にできる瘡蓋を、彼はもう剥がさないでいられると思う。
この曲に勝手に副題をつけるとするならば「志摩の中の澱を少しだけすくい上げた伊吹の手の生命線の長さ」です(?)



以上で〜す!何か……相変わらず偏りのある感想ですね……あはは…………
前回の感想記事、いろんな方から反応をいただけて破茶滅茶に嬉しかったです。vol.1の残りの感想も読みたい、vol.2でも是非、なんて言葉もいただいてしまって。"狂い"の引力って存在するんだなあと思いつつ今回の記事をまとめました。
そうそう、前回のセルフ〆切の理由となったシナリオブックの野木さん得田さん対談ですが、まーーーーー凄い情報量でウハウハというやつになりましたね。それのみならず女傑の鼎談でも美味しい話が飛び出して最高でした。最初はその感想も書こうかなと思っていたのですが、とんでもない量になりそうなのでひとまず見送ることに。こういう話は永遠に聴いていたい……


最後に。本編に登場した劇伴はvol.1とvol.2で全部リリースされましたね〜!(祝)
vol.1に収録されてない曲が使われていたシーンをリストアップしていたんですが、それは全部vol.2の曲が使われてました。このピースが全てはまった感じ、最高です。ドラマの劇伴って大人の都合なのかなんなのか未収録の曲が永遠の放置プレイを食らうことがままあるので、MIUは全部出してくれて本当に優しい、、、、感謝、、


ではまた、この言葉で締めたいと思います。


ありがとうMIU404。BIG LOVE…………

I♡MIU404サントラ その1.5

サントラ感想その1.5です。
前回の感想に入れられなかったvol.1の残り7曲分をやっとこさ言語化しました〜!!いえ〜い!!

◇は〜い、公務執行妨害

小競り合いに似合う曲。伊吹、警察官になっても職質されるどころか110番通報されてんの逆に凄えよ。そんで機捜として初めて対処したのが身内が民間人と起こした揉め事な九ちゃんが可哀想すぎる。
初っ端のデ〜〜〜〜〜〜ェンからして始まってしまった感出してきて笑ってしまう。この曲、リズムが小気味良くていいよね。このヤンキームーブにイーリアンパイプスぴったりだな……合いの手のピアノものらりくらりしてて好き。2週目からパーカスやピアノのリズムが細かくなってテンション昂ってるのが良い。

印象的なのは8話の志摩vs刈谷のシーンかな〜
怪獣大決戦の時のBGMは『衝突』だったのか『は〜い、公務執行妨害〜』だったのか気になるところですね。


◇GO!GO!

歌詞カードないんすか?GO!GO!しかわかんないよ。
イントロから鳴ってるクラップ音が軽快で好き。クラップ→エレキギターエレキベースの順で重なってくるの良い。こういう曲はベースがぐりぐり動くのでそればっか聴いてしまう。スクラッチ音とか「Fooooooo!!!!」みたいなのが入るとパリピっぽいって思うの、安直すぎるがそれ以外の感想が出てきませんすんません。あんな巻き舌からのテンション高い叫びとかパリピにしか無理でしょ……フロア湧いてますね……
1'11〜バスドラ入ってくんの好き。後半からパーカッションのリズムが変化して盛り上がってくるの、テンション上がってんね〜となる。ットトトトトトト!!みたいなやつとか段々煽る感じになってくるの、叩いてて楽しそうだなぁ。

で、面白いのがですね。この曲、1話のドラレコ無くなってるビンゴビンゴビンゴビンゴ!!!!の時と5話のマイさんチャリ爆走の時に流れるんですが、どっちもパリピボイスがカットされてるんですよ。『GO!GO!』って曲なのに「GO!GO!」消すんかいっていう。ちょっとじわじわ来る。


◇MIU404〜当番勤務は24時間〜

メインテーマ『MIU404』のスローテンポアレンジ。「カラフルなTOKYO」感と打って変わってしっとりした仕上がり。このくらいのテンポだと3拍子で振ってもいいのかな?最初の方だけ2拍子+3拍子っぽさが残るけども。
ピアノから始まって0'13〜ヴァイオリンがハーモニーで登場。メロディ2ターン目でピアノ→フルートにバトンタッチ。『MIU404』ではヴァイオリンが担当してたメロディですね。0'42〜ヴァイオリン→フルートがメロディで、こっちはイーリアンパイプスが担当してたやつ。全然印象が変わりますよね。またまたpizzが美味しい。サビのこの雄大さ!朝焼けで色づいた雲が見える。ストリングスのアンサンブルいいなぁ。メロディ2ターン目でフルートと一緒にチェロがたっぷり歌うのカ〜〜〜〜〜ッッて感じ。美味しいとこ全部持ってくあの人たち。終わり方も澄んだ朝の空気のようで良い。全体的にサッシンがいい仕事してますね。
個人的にびっくりしたのが、『MIU404』の印象的なイントロのテーマがどこにも登場しないところ。Aメロに相当する部分から始まって、サビ終わったらそのまま後奏なんですよ。なるほどな〜そりゃ別の曲に聴こえるわと思いました。アレンジって面白いね!!


◇刻々と過ぎる時間

気持ちわり〜〜!!好き!!けど知らねー楽器ばっかだよオラ!!なんか……インドっぽいですよね。エキゾチック。シタールとかその辺なんですかね……?またダルシマー(仮)みたいなのも聴こえる。もうなんらかの弦楽器ということしかわかりません。遠くの方でカーン……カーン……チーン……チーン……鳴ってるやつも誰……とにかく焦りと不安を表現するにはもってこいですね。ぼわ〜んとしたベースも膨らんだり縮んだりを繰り返してて気持ち悪い。謎のノイズも入ってるし。0'55〜ストリングス入ってくると妙に安心する、笑。1'15〜とか1'43〜のチェロの動きに後から上がついてきて同じ動きになる、みたいなの好き。ぞわぞわする曲。

この曲といえば1話の白いステーションワゴン待機してるシーンなんだけど、セリフで「刻々と過ぎる時間」って何処かで出てきたことあります……?サントラの曲名ってだいたいセリフから取られてるのにこの曲は該当するセリフが思い当たらないんですよね……というかこのシーン以外で使われた記憶もない(これは怪しいですが)。ここで出てきたわボケ!があったら是非お願いします。


◇行動は大きくみろ

パーカスが右行ったり左行ったりしよる。これコンガボンゴあたりですか?ピアノとの組み合わせ面白いな。ベースの音少しもわーっとしてる。伴奏でずーっと冒頭のリズムをやるピアノとメロディをやるピアノと2種類いるんですね。1'44〜加工された歌声入ってきてビビる。基本的にベースのリズム隊が同じことを繰り返していて、上に乗っかる人たちがいろいろ展開していくって曲ですね。吹奏楽経験者にはお馴染み『テキーラ』を思い出しました。あれベースはマジで数十小節同じこと繰り返すので曲覚えるまでは死。楽器初心者なのに本番暗譜の時があって、手にこのパターンが何回で〜とか名前ペンで書いてました(余談)


◇見えない敵

冒頭からこの不穏感。全体的にエレクトリカルで言語化できません、笑。0'56〜リズムが変則で好き。1'36〜気持ち悪くて泣いちゃう。不協和音ってやつですね。警告音みたいでぞわぞわ。最後もこれで終わるの凄い怖くない?ホラーだよ。


◇証拠はないけど、ふんいきが違った

そこは「ふいんき」だろ??!!??!?!?!九ちゃんに赤ペン入れられでもしたんか。
この曲、アンナチュラルで流れててもあんまり違和感ないな〜と思いました。ふいんきだけど。UDIのシーンっぽさがある。感想その2と合わせて3回くらいアンナチュラルで流れてそう〜みたいなこと言っててそろそろ怒られそうだな……笑
冒頭の電子音の音が2こ続くところ、めちゃくちゃ強弱ついててこんなにわかりやすいの珍しいな〜と思うなど。0'40〜ベースがぼわぼわしながら音変わるのが好き。1'10〜弦のメロディ、オクターブになってて最後ハモってるのも良。テケテケテケテケブイブイしてる電子サウンドかわいいね……合間に入ってくるキーボードはおしゃんだね……



以上さくっとこんな感じです!
この7曲は比較的テンションが落ち着いているので別の記事にまとめました。
vol.2の感想は発狂してますのでお楽しみに〜〜!!↓
hakaishin.hatenablog.com

妹の卒業にまつわる独り言

3月。卒業の季節ですね。
昨日3月1日は卒業式を行う高校が多かったと聞いて、妹もちょうど去年の昨日卒業したんだったと懐かしく思い出しました。
妹はコロナによって大事な青春のひと時を奪われた人でした。同時に、コロナからただ奪われるだけの人でもありませんでした。そのことを書いた日記めいたものを、再録という形でこのブログにも載せておこうと思います。もともとはnoteに投稿したものですが、今後使う予定がないので引き継ぎの意味も兼ねて。


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2020.3.1

妹が今日、高校を卒業した。

3月1日、晴天。卒業式をやるにはもってこいの、柔らかく暖かい日差し。新型コロナウイルスの影響で保護者の参列は認められず、生徒と先生だけで行う形式だった。
今晩はすき焼きにするからね、と言っておいたのに20時をまわっても帰ってこない。きっと今日で終わってしまう高校生活に別れを告げるので忙しいのだろう。

本当は、3月16日が" 卒業 "の日になるはずだったのに、彼女の高校生活は突然幕を下さざるを得なくなった。青春の全てを捧げてきた部活動の集大成の公演を、自粛という形で中止したからだ。
学校側も苦渋の決断だったのだろうが、彼女たちの最後の1ページはあまりにも急に、あっけなく破り取られることとなった。

2月27日、仕事が終わってラインをチェックすると、家族のグループに「中止になりました」と一言だけ入っていて、ああやっぱりそうなってしまったのかと苦い気持ちになった。
家に帰ると妹は友人とたわいもないやり取りを延々とビデオ通話で続けていたが、それは悲しみを紛らわすためにみんなでそうすることにしたのだそうだ。かれこれ5時間くらいは馬鹿みたいに明るく高いテンションで騒いでいただろうか。感情の整理ができなくて当然だ、とそっとしておくことしかできなかった。

しかし高校生というものはタフだった。定期演奏会中止の宣告を受けた翌日には、卒業式までに自分たちに残された2日間をどう使うか決め、その実行のために動きだしていた。
そして昨日、彼女たちは25回目の定期演奏会を開催した。講堂も体育館も貸してもらえなかったので小さな音楽室で。1・2年生は部活停止になっていたので3年生だけで。作りかけの衣装を纏って、完成にはまだ遠いプログラムをみんなで精一杯やりきってきたそうだ。
私は家を空けていたので直接妹とは話せていないが、母づたいに「やれるだけのことはしたし濃くていい時間だった」という言葉をきいて安心し、妹の成長をしみじみと噛みしめたのだった。

私と妹は5歳差の姉妹だ。3月生まれなので周りの子より小さく、人前が苦手ですぐもじもじして泣いていた。そんな妹が、高校を卒業する。その事実が今でもどこか信じられない。自分の中の妹より、目の前の妹の方が大人びていてそのギャップにびっくりすることがある。「そんな言葉知ってるの?!」と言うと「それくらい知ってるわ舐めてんのか」とキレ気味に返される。いつまでも小さい妹じゃないのだと思い知らされるたびに、少し寂しい気持ちにもなる。ああ、こうしてどんどん大人になっていくんだなと……と。

昨年、定期演奏会で舞台上で踊る(吹奏楽部だけど踊るのだ)妹の姿を見てボロ泣きして、来年は絶対にやばいなと思っていたのだが、まさかその演奏会自体がなくなってしまうとは思いもよらなかった。キラキラと輝く妹を、客席から見届けたかった。一番無念なのはもちろん本人たちだろうが、必死に頑張る姿をずっと見てきた私たち家族も悔しくてならない。
それでも、一生忘れられない思い出になったと妹が言うから、私もそれを受け入れようと思う。

3年間よくやったね。卒業おめでとう。

なお、なかなか帰ってこないので主役がいないのに「卒業おめでとう〜!!」と乾杯してすき焼きを食べた。一体何の会だ。


(2021.3.2 加筆・修正)

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コロナが流行り始めてから早1年。まだ終息という光の見えない闇の中にいる我々ですが、自分のできることをやりながら生きていくしかありませんね。
ちなみに大学生になった妹は単位を1つ落としたようですが無事進級はできるそうです。再履修頑張ってください。