褪せぬ名曲、滾る細胞

<<気温がおバグり申し上げている今日この頃、スタジオジブリ トリビュートアルバム『ジブリをうたう』を毎日聴いています。

ジブリの曲っていいよね。
というのを再々々々々々々々々々認識させてくれるこのアルバム。お気に入りの数曲についてちょこっと感想を。


カントリー・ロード/松下洸平

松下洸平、歌上手いんやな……!!
歌手としての彼のことはあまりよく知らなかったのだが、深みがあって良い声をしている。ずるいぞ。
以下歌い方好きポイント。

・最初のサビ始まりの「カントリー・ロード」の「ド」の収め方
・「さみしさ 押し込めて」の「て」のタイトめの処理
・「故郷の街」の「故郷」の言い方
・「帰りたい 帰れない」の「ない」の音程
・最後の「カントリー・ロード」の「ロ〜〜〜〜ォ↑オ↑〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(2段階ファルセット)」

あとゴスペルアレンジがめちゃくちゃ良い。歌声そのものが生命讃歌というか、存在を力強く肯定してもらえるような気がする。「行かないさ 行けない」「帰りたい 帰れない」決意と本音とが交差する歌詞が切ないんだけど、それでいいんだがんばれよ、と背中を押してくれる夕陽のようなパワーを感じた。原曲よりだいぶテンポが速いのも元気が出ていいな!
もはやこのアルバム関係ないが、元々の原曲の「yesterday」という歌詞に「(思い出)消すため」と韻を踏むような歌詞を当てたの天才だと思う。

サビのブラスの合いの手、
カントリー・ロード(ッタララーラ↓)」
「この道(ッタララーラ↑)」
の語尾のこれ、↓ ↑ 、好き。

落ちサビで伴奏がピアノメインになってオオ〜と思ってたらラスサビで転調してオオオオオオオオオオオオオオオオ


◆いのちの名前/幾田りら

ンンン唯一無二の声質……!!YOASOBIのikuraちゃんの時と若干声の出し方が違うような気がする。りらちゃんの歌声はずっと聴いていたいくらい気持ちが良くて、この曲カバーしてくれてありがとう(大感謝……)になった。透明感と時折混じるエッジボイスが良い。ベースがpizzで動くの好き。


◆君をのせて/家入レオ

アレンジ良すぎて狂う。

冒頭、マジで何の曲かわかんなかった。中島みゆきの『地上の星』が始まったかと思った。双方宇宙空間から地球を見てる俯瞰系楽曲……というのはさておき、1小節ずつ和声が変わる背後でドラムスがリズムを入れるという構成が同じだからそう感じるんでしょうね。原曲のテテトテテトテテトドドドドドドの始まり方も大好きなんだけど、アレンジ版のギターで刻む感じもいいな〜とフンフンしてたら0'17〜のヴァイオリンでぶん殴られた。エッかっこよすぎ、、、、、、、シンコペーション3音×2の後のタン、タカターンのターン(2拍目裏)でバチコーン和声変わるの良すぎない、、、、???(※まだ歌始まってない)

0'43〜Aメロ下の句から入ってくる右耳のギター、Bメロを誘うフレーズとしてくそエモーショナルなことをしておりア〜〜!!ただ下ってくるんじゃなく途中で装飾がつくの最高最高。

Bメロの合いの手ヴァイオリン、「さあでかけよう(1段階目)」→「ひときれのパン(2段階目)」で音が上がって気持ち高まってんの良い。「つめこんで」の「で」の伸ばしの裏でキレよくアグレッシブに動いててかっこいい。

そんでサビ、サビなんだけど全部好きヴァイオリン。「熱い想い」から「母さん」までの間の剥き出しになるところの流麗さ。「かあさ(タリラー)ーんが(タリラー)ーく(タリラッタリラー)」←タリラッタリラーのやみつき加減……

2番「地球はまわる( ピョロ~~~~ロロロ~)」
その音は我が友ティンホイッスルではないか?

「きらめく灯」の後に、1番ではBメロ前に置かれてたエモフレーズに似た音形がヴァイオリンを伴って入ってくるの激激に滾る。

ヴァイオリンソロ!!イントロの再現発展系ですね。2'21〜の怒涛の移弦がハイパー美しく決まっておられる。頭で言及した2拍目裏で音変わるやつがまたバチコーン入って力強く弾き切り、

ドドドドドンドドドドドッ「とぅ

さああああああああああああああああああああああああああああああ

ここの音のはめ込み完ッ璧すぎて脳汁が止まらない。気持ちいい。最高。やばいねもう。そして満を持して飛び込んでくる家入レオ様の切れ味。1回目の「父さん」と明らかにボルテージ違うのがわかる。すごい。んでまたヴァイオリンがやばいんですけど、「熱い想い」の裏にかかるやつ、1回目は緩やかな上昇形なのが2回目は下降形のシンコペーションでしかもめちゃくちゃ最初のアタックが強い。弓の毛が弦を噛む音が聴こえるくらいもう激情迸る感じでアツ〜〜〜!!あと1回目は1本だけど2回目は2本(以上)でゴリゴリに弾いてますね。あの装飾なのかなんなのかわからない目まぐるしい舞い、好きすぎて頭がおかしくなりそうだ……

後奏のデュオも大変良く、最後上の人は音変わらずロングトーンで下のハモリやってる人が動いて終着駅に運ぶっていうのがハオ。

もうヴァイオリンのパート全部歌えます。


◆テルーの唄/Little Glee Monster

手嶌葵しか勝たんとか思っててすみませんでした。良〜〜〜〜!!!!ソロとコーラスとの融合とそれぞれに聴きごたえがある。アレンジがヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲《四季》の《冬》の2楽章のような、優しい雨みたいな雰囲気なのがね……とっても良い。慈雨と言うのかな。2・4拍目に入る短いコーラスの層が雨だれのようで。2番の後でサラッと転調していることに今気づきました。「あなたもきっと寂しかろう」の「あ」と同時に入ってくるベースの動きとその先の音数豊かなBメロが好き。原曲の厚く揺蕩う弦楽アンサンブルもたまらないんだけど、アレンジ版のビート感も心地よいな……と思います。


◆ひとりぼっちはやめた/満島ひかり

満島ひかりちゃんのお声ってなんでこんなにかわいいの???むり。


時には昔の話を/渋谷龍太

そもそも原曲をあまりちゃんと聴いたことがなかったので、アレンジがどうとかいうよりシンプルに曲の良さに溜息が出てしまった。なんだこのノスタルジー…………そして加藤登紀子さんも渋谷龍太さんも歌が上手い……………………

1番より2番の方が伴奏の音が増えて複雑になる構成大好きなんだけど、2番Aメロの裏で歌う弦楽器の旋律と、Bメロの合いの手「小さな(タリラー)くやに(タリラー)いく人も(タリラー)しかけ(タリラー)」が良すぎる。入るタイミングが1拍目裏→3拍目表→1拍目裏→3拍目表になってるとこが。

からのサビ、歌の熱量を底上げするストリングスやば〜〜〜〜〜いアアアア〜〜〜〜〜〜!!!!!!「嵐のように毎日が燃えていた」のチェロみんな聴いてくれ〜〜〜!!!!泣きそうんなるマジで。ラスサビの同じ旋律の「今でも同じように見果てぬ夢を描いて」の裏の方はより動きが細かくなってて跳躍入ったりとかして情緒が情緒が情緒がアアアア……………


はい、こんな感じでところどころ激しく悶えながら聴いてます。他の曲も、フォロワーさんの好きなアーティストだ〜とか人選パネェ〜とか思いながら楽しんでいる。プロデューサー武部聡志さん、ありがとうございます。感謝……

自分の言葉がグッズ化されたい

自分に面白みがないことについて、少なくとも1日1回はがっかりしている。例えば旧Twitterで何か呟いた後だったり、上司から話を振られた時だったり、半分初めましての人との飲みの最中だったり、楽器を弾いている瞬間だったりとタイミングは様々だが、とにかく味が薄い気がしてならない。料理が下手だし、そもそも出汁を取るための具材が全然手元にない。そういう感覚だ。人生に高低差や緩急がないとこうなるんだろうか、と最近よく考える。

『LIGHTHOUSE』は源さんと若林さんが暗黒時代を過ごしたという阿佐ヶ谷・高円寺を舞台に始まるが、私の人生には暗黒と呼ぶほどつらい時期というものが存在しない。挫折も知らない。留年も浪人も休学も転職も休職も経験がない。履歴書は早く書き終わって楽かもしれないが、Wikipediaのページは全く読み応えがないと思う。もし「この人の人生をドラマにしてください」と私を題材に指定したら、紆余曲折とかけ離れた直線ぶりに脚本家はキレるかもしれない。朝ドラや大河の主人公に選ばれる人って本当に凄い。

ある視点で見れば「自慢か?喧嘩売ってんのか?」と言われそうなことを書いている自覚はある。自分が恵まれた環境で生きてきたことには気づいている。だから、つまらない人生で嫌だと嘆いているわけでは全くない。
ここで何をこぼしたいのかと言うと、ぬるま湯に浸っている自分からは絶対に出力され得ない類の言葉があって、LIGHTHOUSEの二人が放つ言葉がまさにそれだ、という事実に勝手に落ち込んでいるということである。私の言葉はあんな風に鋭い角度で人に刺さらないし、端々に滲んでしまうエスプリもユーモアもない。まるで比べものにならない。比べることすら烏滸がましいかもしれないが。
オケの練習の時も、トレーナーの先生によく言われる。「人生が浅い音がする」と。大変ごもっともで、ぐうの音も出ない。助けて。

苦労すれば苦悩すれば人生に深みが出るんだ!と考えるほど単細胞ではないが、生きるのに困ったことがない人間の深度は、そうでない人間の深度とは絶対に違うのも確かで。それはきっと、言葉の重みとか凄みとか、そういった部分に差異として現れる。その差異が気になってしまう。自分のぺらっぺら具合を意識してへこむと同時に、恥ずかしさを感じる。
「この文章私が書いたことにならないかな」と私も言われたい。「これ俺が弾いたことにならないかな」でもいい。そう言わしめるものを出力できたらという思いは常にある。きっといろんな人に「この曲俺が作ったことにしてほしい」と思わせているであろう源さんは只者じゃない。そういうところも好きなのだけど、とても遠く感じる。
この夏、ある分野の第一線で活躍している人・強烈なエピソードに事欠かない先輩・口から出る言葉全部がウィットに富んでる指揮者などといった中身が濃い人々と立て続けに会話する機会があって「あ~味がねえ〜〜〜」と自己嫌悪に陥っていたのだが、そのタイミングで見たLIGHTHOUSEは効いた。もがいてあがいて生きてきた人たちの言葉は違う、と思った。思わされた。

なんてことを言いながら、例えば今なら時間を戻して山あり谷ありの曲がり道を選べるけどどうする?と訊かれても、私は選ばないだろう。若林さんに馬乗りになられて「俺と同じ20代過ごせんだろうなぁ!?」と迫られたら謝りながら全力で首を振る。思い立って会社を辞めて知らない土地に行くとかできる気がしない。自分から変化を求めようという気概も持ち合わせていない。そういう卑しい人間なのだ。好きなものを食べまくって運動せずに痩せたいとか、ただ寝てるだけで金がほしいみたいな、対価を払わず美味しいところだけ手に入れたいという話をしている。酷いな……

以上、特に解決法に辿り着いたわけでもないので暗いまま終わる。ただ、この前初めて『ローマの休日』を観てしみじみ良い情緒になったので、名作と呼ばれる古い映画はいろいろ観てみようとは思っている。
ちなみに、このことをちらっと母に話してみたら「これから人生めちゃくちゃになるんじゃない?」と言われた。言い方……。でも確かにその可能性は大いにある。もし谷底に落ちたらこの文章を読み返して、何言ってんだコイツはと笑ってやるのも良いかもしれない。

星と若のユニット名を「悩める人々を照らす灯台のような存在だが自分たちの足元は暗そう」という理由で『LIGHTHOUSE』とした佐久間さんに対しても私はグギギギ…………となっている。的確すぎるだろ。

音楽と共に生きる、ということ

「僕たちは、今日死ぬかもしれません」

この台詞から続く常葉朝陽の言葉が好きだ。これが人生最後のステージになるかもしれない、だから悔いのない演奏をしよう。何度聴いても心が震える。そして私は、今日この帰り道で死んでも構わない、と思えるほど最高の本番を経験することができた。それはとても稀有なことで、今回はそのことについてつらつらと書いていこうと思うのだが、先に断っておこう。かなり、長い。

私の人生における音楽のレイヤーはざっくり分けて6つある。そのうちの5層目が高校のオケ部時代で、これから登場する4人の友人たちはたぶん、生涯の友と呼ぶに相応しい人たちだ。いろいろ語るにあたって軽く紹介しておく。男子①当時のコンマス(ここではOと呼ぶ)、男子②コントラバスの同期(ここではSと呼ぶ)、残りの2人は女子でここではHとDと呼ぶ。私を含め部の運営を担っていた幹部チームで、一緒に血反吐を吐いてきた戦友である。このチームには名前があり、ここでは仮名として闇鍋と呼称しよう。
現役時代めちゃくちゃ走り回った我々は、大学進学後全員が別々のオケに入り楽器を続けた。卒業後も闇鍋が揃って楽器をやっているのは歴代でも異例のことらしい。互いの演奏会には何度も足を運んだ。元コンマスのOは私が所属するオケ自体のファンになってしまい、仮に私が退団したとしても演奏会には絶対行くなどと愉快なことを宣っている。そいつはヴァイオリンのセンスと幼少期からの長年の経験を存分に発揮するように、大学のオケで弾くのみならず様々なオケのエキストラとしてあちこち飛び回っており、ついに自分が中心となってオケを立ち上げてしまった。演奏会のたびに「喬林さんうちのオケ来ない?」と誘われるのだが、私はOがうちのオケに欲しいので永遠に平行線である。
演奏会以外にも闇鍋会と称してちょくちょく顔を見せ合う仲だった我々は、全員が成人してからはオトナらしく飲みがメインになった。初飲みは確か渋谷の塚田農場だった。


こうして横の繋がりを保ちながら母校のオケ部との縁も切れなかったのは、夏休みに行われる合宿に参加していたのが大きいように思う。某お米の美味しい県で数日泊まりがけで行われる合宿には、毎年プロの音楽家と卒業後も楽器を続けている酔狂なOBが任意で指導員として参加する。お察しの通り、我々もその酔狂の一員(なお常連)だった。後輩指導がもちろん第一の目的、でも馴染みの場所に友人たちと訪れて寝食を共にするというのはもはや旅行みたいなもので、それが楽しくて恒例のイベントと化していたところはかなりあった。
初めて参加した年は現役の乗るバスに便乗して向かう予定だったのだが、Hは電車の運転見合わせに巻き込まれて出発時刻に間に合わず、自腹を切って新幹線で追いかけてきた。彼女は学生の頃から大事な時に限ってそういうことに巻き込まれるのである。つくづく災難な女だ。
大学生ともなると5人が揃うこともなかなか難しく、全員集合できたのはたった1回だけだった。その時はSが車を出してくれて、カーステレオでクラシックをガンガンに流しながら高速を走った。そこそこガチで音楽をやっている連中が集うと、「○○(指揮者)の××(曲名)がヤバい」的なオヌヌメ音源の紹介合戦になったり、「ドヴォルザークはちょっとダサいところがあるのが逆に良い」とか「この1楽章の終わり方はクソ」とか至極勝手な講評が始まったり、音源に合わせて歌いまくるカラオケ大会(語源を考えるとカラオケなのかなんなのかわからないが……)に発展したりする。これがまあ頭おかしくなるくらい楽しい。私はこの時、人生で初めてドライブとは楽しいものなのだと知った。幼い頃は乗り物酔いが酷く、車と名のつくものに乗ると必ずゲーゲーしていたからだ。家族で出かける際のドライブは常に地獄だった(私と妹があまりに吐き散らすのでのちに両親は車を手放すことを選んだ)。彼らとの思い出は私の嫌な記憶を上書きするには十分すぎるくらい最高で、こんな夏がずっと続くと思っていた。だが、あっけなくそれは途絶えた。





コロナの流行を受けて、恒例の合宿は中止になった。というより、そもそも部自体が活動停止を余儀なくされるようなそんな状態だったらしい。うちの部では3年生の4月の定期演奏会で引退となるのだが、当然それも開催できず、その代の子たちは1年近く練習してきた曲を完成させられないまま卒業することになった。結果的に最後となってしまった合宿で私たちが面倒をみた、当時部を牽引していた代の子たちだった。
我々闇鍋は流行りのリモート飲み会をやってみたりと細々交流は続けていたが、オケ部との関わりはめっきりなくなってしまった。この3年の間に誰かが転勤したり転職したり結婚したりして、自分たちの人生も少しずつ模様の違いが大きくなっていった。いま楽器を続けているのは私とOとSだけだ。Hは地方勤務になって楽器をやる環境がないから、と言っていたので、こちらに戻ってきたらまた始めるのかもしれない。私はDが完全に楽器から離れてしまったことが残念だった。演奏会には来てくれるから音楽から離れたわけではないが、もう彼女の音が聴けないのかと思ったら少し寂しい。でも、音楽とどう生きるかはあなた次第、という朝陽の言葉を思い出す。彼女にもう未練がないのであれば、それは受け入れるべきことなのだろうと思うようにしている。

そして今年の3月末。
闇鍋LINEグループにOからメッセージが送られてきた。先輩から連絡を受けて、今度の定演に乗れるコントラバスのエキストラを探している、と。彼の所属しているオケの話ではない。我らが母校のオケ部の話だった。慌ててスケジュールを確認した。1ヶ月後ならまだ空けられる。そう返事をすると、Sも同じく日程的には参加できるという。しかも募集枠は2人。これは乗る以外の選択肢などない。私もSも確定の返事を仲介役のOにした。俄かに浮き足立った。今日にでも詳細の連絡が来るだろうと言う彼に「Oは乗らないの?w」と冗談めかして訊くと、なんと2ndで乗るという。先に言えよ馬鹿と笑いが止まらなくなった。抜け駆けしてんじゃねえ。


かくして、同期3人の共演が決まった。高校を卒業してから同じ舞台に立つのはこれが初めてのことだった。引退した時の定演から9年が経っていた。プログラムのメイン曲は、コロナがなければあの子たちが演奏していたはずの幻の交響曲だった。

乗ると決めたはいいものの、本番前の練習に参加できたのは1日だけだった。月〜金労働社会人なので平日夕方の部活に顔を出すのは難しく、休日ならどうにかという感じだった。
そして、高校生の朝クソ早ぇ!と最後の合宿ぶりに悲鳴を上げた。奴らの朝食は7時いただきますである。私が所属しているオケもコンパクトな合宿は行っているが、朝食はもっと遅い時間だし、そもそも就寝時間という概念がなく夜通し練習するイカれた集団なので、朝ごはんを食べようとする団員は全体の2割が良いところか。
話が逸れたが、悲鳴を上げたのはその日の練習が朝8時半振り下ろしだったからだ。夜の間違いか?と思ったがバッチリ朝だった。日曜の8時半なんて普段なら布団の中にいる。仕事と同じ時間に家を出てショボショボしていたら、のっそり現れたSが同じように「朝が早すぎる……!」と呻いた。高校生も凄いが、それに合わせて活動している顧問の先生方が本当に素晴らしい。適切な言葉ではないが、えらい。えらすぎる。
どうせなら現役当時のプルトがいいと思って表を所望すると、Sは快諾した。どうやら同じ考えだったらしい。入学してから卒業するまでずっと、私たちは同じプルトで表と裏で、1番の相棒だった。それ以上の関係になりたいと願って叶わなかった相手でもあるが、それはもう遠い昔の話だ。高校時代に最も自分の音楽のそばにいた人間の隣でまた楽器を弾ける。それはこの上なく幸せなことで、まだ本番も終わっていないのに既に満ち足りた気持ちでいっぱいになってしまった。気が早い。
超絶久しぶりに会った顧問の先生は相変わらず魔女みたいに同じビジュアルで本当に年を重ねているのか疑いそうになる。近況報告などを交わし、では次は本番で、と挨拶。何せこの時点で本番1週間前を切っているのである。こんなに練習に参加できない本番は初めてだ。でも、そこまで不安はなかった。むしろ楽しむ気満々だった。緊張しているエキストラなど使い物にならないし、アウェイどころかここはホーム。現役を制圧してしまわない匙加減だけ注意してのびのびやろう、と決めて本番を迎えることにした。


本番前夜という凄いタイミングで割り込んできた送別会は、最初「明日本番なので今日はほどほどに……」と宣言していたのだが、結局ワインだけでも3杯頼んでしまって自制心よわ……と呆れた。会社の金なので仕方がないと開き直る。翌日に持ち越すことがほとんどないタイプなので、朝はしっかり起きてちゃんと会場入りした。楽屋に辿り着く方法がわからずウロウロ彷徨ったのは余談。
Oとは練習に参加できる日も被らず、当日ようやくという感じだった。ゲネプロ中、ここはというポイントでOに視線をやると、彼も私を見てニヤッと笑い返してくる。そういうやり取りが1曲の中で何回あったかわからない。Sともニヤニヤの応酬はあるが、こっちは大抵どちらかがミスった時である。
アンコール曲の途中で、Oが1番後ろのプルトから「ここは!絶対!走らないで!」という風にテンポを維持しようとしているが若さ故の突っ走りを1人では止められず苦労しているのがありありとわかる弾き方をしているのを、休符で無職の私とSはまたもニヤつきながら見ており、そこを乗り越えた後にOがこちらを見て笑うというくだりがあった。これは同じレベルで音が聴こえている者同士でしか共有できない彼の孤軍奮闘だった。恐らく、現役や他にも数名乗っているOBの若い層の子たちは、私たちが何にウケているのか見ていても理解できないだろう。もしかしたら現役にはなんだあいつらと思われていたかもしれないが、10年選手のOBとしては流石に格の違い的なものを見せつけさせていただかないと存在価値が危ういのである。ゲネプロの後、当該箇所について言及すると、案の定Oは「俺は無力」と言ったので笑った。がんばれ元コンマス
本番前に現役のバスの子たちと写真を撮った。みんな礼儀正しくていい子でとってもかわいかった。卒業した今でも、うちの高校はいい人たちが多いなあと感じる。民度が終わってる公立中学の出身だったので、高校は本当に楽園のような場所だった。ふざけ倒しても一定ラインの常識は超えない育ちの良さ、周りに気を配り声を掛け合う優しさ。女子をさん付けで呼んで丁寧な言葉で話しかけられる男子で溢れていることに心の底から感動したものだ。


我々の出番はメインの交響曲以降だったので、前・中プロは客席から聴かせてもらった。入部してくる子のレベルが上がっているのか先生の指導力の向上かもしくは両方なのか、自分らが現役だった頃より数段上手くてびっくりしてしまう。弦のほとんどは高校から楽器を始めるのに1話の玉響より上手い。エキストラとして召喚されるということは演奏が危ういのかと思っていたがそうではなく、音の厚み出し要員ということだったようだ。厄災に見舞われながらもオケとしてめきめき成長している様にはただただ感心するしかなかった。


本番は大抵練習よりテンポが上がるものだが、例に漏れずだいぶ前のめりになって面白かった。Sが譜めくりをした後ちょっとだけ浮いた左側のページを私がそっと弓先で押さえる連携プレーが懐かしすぎて爆発しそうだった。前回の練習からゲネプロまでの間に何箇所もボウイングが変更になっていて、拾えるところはゲネ中に書き換えたが漏れたり間違えたりで、現役とOB、さらにはOB内でも弓が逆になるという事故が多発していたのは許してほしい。アンコールでヴァイオリンと管が完全に乖離した時は狭間でどうしようかと思ったが、無理矢理帳尻を合わせてどうにかした。リハで苦労していたOは本番でも苦労していた。
本番前の掛け声、先生の少し独特な拍の出し方、アンコールまでの流れ。当時と変わらないものがたくさんあって、私の知っているオケの姿をしていたことにほっとした。当然、変化も多々ある。けれど、あの時と今は確かに地続きのものなのだと強く思えた。先生方、そして私たちが卒業した後にここで音楽をやることを選んでくれた後輩たち。私の愛したこのオケを、今日まで繋いでくれてありがとう。


終演後、帰り支度を整えて楽屋を後にすると、ロビーはたくさんの人で溢れていた。知った顔がいくつもあった。
現役の時、同じ舞台で演奏していた友人たちが来てくれていた。宣伝のために久々に同期LINEを動かしたら反応をくれたのだ。しかも卒業以来1度も会っていない友人たちだった。すっかり綺麗なお姉さんになってる……!という感想は、もしかしたら向こうもこちらに思っていたかもしれない。2人が並んでいるのがすごい懐かしかった、と口々に私とSに言った。全員が同じ気持ちを抱いていた。
ひとつ下のバスの後輩が同期と一緒に来てくれていた。彼女は私が大学生の時から良く演奏会に来てくれている、喬林ガチオタみたいな娘だ。私とSの間に挟まれて写真を撮るとまさに"狂喜乱舞"という感じで、まるで自分が芸能人にでもなったかのような錯覚を覚える。新歓演奏会で私の弾き姿に惚れて「ここに入ってコントラバスを弾きたい」と心を決めた、という話を会うたびにしてくれるのだが、やはり今日もしてくれた。私が当時の髪型に近かったから余計に記憶を刺激したらしい。かわいい。
合宿常連組の先輩が来てくれていた。エキストラ探しネットワークの中心にいた人だ。今日はお一人ですか、と訊くと「一人で来たけど死ぬほど知り合いがいる」と返され大ウケしてしまった。その通りである。その人以外にも自分と干支3周り以上違う大御所OBたちの姿などもあり、ここは合宿所か?というような様相だった。
今のオケの後輩が来てくれていた。その子は、実は高校の後輩でもある。といっても何代も離れているし、そのことを知ったのは彼女が入団してきた時が初めてだった。合宿で顔くらいは見てたはずだと盛り上がったが、よく年を数えてみたら最後の合宿の時に2年生で──今日のプログラムは演奏したくてたまらなかったはずだ。めっちゃよかったですーとぽやぽやした喋り方で言ってくれたが、心中はいかばかりか。当時管楽器をやっていた彼女に、私は今コントラバスを教えている。
そうして見知った顔ぶれと話していると、チラチラとこちらの様子を窺っている男の子がいることに気づいた。その面立ちになんとなく覚えがあり、もしかして合宿で……と声をかけると「覚えててくださったんですか!」とえらく感動された。確かに教えた、君のことは。しかも先ほどの今オケ&高校の後輩ちゃんと同期で、今オケの定演の方も来てくれていたらしい。一方的に見られていたとは知らなんだ。バスは続けているのか訊くと、オケではないが別のジャンルに移って続けているという。嬉しかった。自分がかけた言葉や聴かせた音が少しでも彼の中で生きていてくれたら、それはとても幸せなことだ。

ホールから離脱してSとOと3人で焼き鳥屋に雪崩れ込み、しこたま飲んだ。本番前、ほぼ自分の楽屋におらず奴ら2人の楽屋に入り浸ってくっちゃべっていたのに、話は全く尽きない。8割が今日の感想を含む音楽の話、残り2割が自分たちのこれからの話という感じだ。私も2人も闇鍋の誰かの結婚式に呼ばれて残りのメンバーで祝福の演奏をするというやつをめちゃくちゃやりたがっているのだが、式は挙げない方針の既婚者Sと挙式に消極的な独身O&私(相手はいる)と積極的な独身H&D(相手はいない)という組み合わせのため、現状どうなるかわからない夢となっている。演奏させてくれ……
とは言いつつ、式を挙げるか否かも、結婚するか否かも私が口を出すことではないこともわかっている。ただ、なんと言うのだろう。みんなには幸せであってほしい。やってきたことが報われてほしい。尊敬されて、大事に扱われてほしい。特に、今ここにいないHとDの2人に対して強くそう思った。Hは気が強いように見えて実は繊細で、仲間内では一番愚痴っぽいが本当にそれをぶつけたい相手には言うことができないで、自分で全部ひっ被ってどうにかしようとする人だ。Dは優秀な上に人の2、3倍もストイックに努力を重ねて、それでも満足せずにむしろまだ足りないと自分を追い込むような人だ。彼女たちは、報われるべき人だ。いつ会ってもハードモードな生活を送っている2人には、そのがんばりに見合うだけの何かがちゃんと用意されてほしいのである。と思っていたら、Oが全く同じことを熱っぽく語り出して「わかる」を繰り返すbotになってしまった。我々は皆、闇鍋メンバーに関しては強火のモンペだった。


少し肌寒い夜にブルブル震えながら締めのアイスを食べ、次の演奏会の宣伝をして解散した。家には死ぬことなく辿り着いた。

こうしてこの10年をなぞってみると、高校の関係者だけでも自分が音楽を通していろんな人と繋がっていることがよくわかる。私は楽器を弾くのが好きというより、オーケストラの中でアンサンブルをするのが好きだ。生まれも育ちも何もかも違う人たちが、音楽を介してひとつの運命共同体になるオーケストラが好きだ。音楽がないと生きていけないというより、音楽があったから生きてこられた。そんな風に捉えている。この先も、音楽で結びついた人たちと生きていきたい。今日死ぬかもしれないと思いながら楽器を弾いて、今日死んでもいいと思える演奏をしたい。明日も明後日も、音楽と共に在りたい。私は、音楽が好きだ。

なんと、今年はついに合宿が復活するとのこと。お邪魔させていただきます。Sの車で!

Hello, あの日のいつか

オタクが「泣く」「泣いた」と言う時、実際に涙が流れているのはそのうちのたった数%なんだろうなと思い、あまり本気にはしないのが常である。私自身も感極まれば本当には泣いていなくても「泣いた」とツイートするし、それを見た人も同様にマジで泣いているとは大抵思っていないはずで。でも、これから私が言う「泣いた」はREALに目から涙が溢れ出たやつで、いつもの盛ったやつとは違うということを先に言わせてほしい。いや弁明が要るほど多用すな、という話ではあるが……


▽以下、YELLOW PASS限定イベント「Gen Hoshino presents “Reassembly”」1月12日@大阪城ホール の超私的なレポート&感想文です。がっつりネタバレ。


▼背景
・イエパス限定とはいえ星野源だぞ!!どっか1日当たれば御の字!!と4日程全部申し込んだら誕生日を除く3日程の席がご用意されて一体どうなってんだ?となった。流石に今の勤務体制で3日連続休みを取るのは難しく、申し訳ないと思いながら11日の方はリセールに出し、12日の方へ行くことに。推しの対面ライブ初参戦、そして人生(ほぼ)初大阪の相乗効果で、現実味がないのにずっとそわそわしているというよくわからない状態で1ヶ月ちょっとを過ごしていた。泊まりがけで推しに会いに行くという経験も今までなく、自分の初めては源さんになるのか……と酔っていた。こうして客観視するとちょっとキモい。

▼物販
・事前通販だと間に合わないので現地でグッズを購入。手提げの袋を早速ホテルに置いてくる迂闊さを発揮し、以前買いそびれていたイエマガフェアの時のバッグを一緒に購入してそれにグッズを入れることにしたが、己の財布の紐がガバガバで笑ってしまった。物販コーナーに来るとまともな金銭感覚が失われるらしい。オーダーシート式ではなくレジでひとつひとつ欲しい商品を言っていくスタイルだったのだが、「スマホショルダーのニセ」と明瞭な発音で注文している時の意味のわからなさといったら凄かった。スタッフも「スマホショルダーのニセの方ですね」と返してくれるのでよりシュール。どういう感情でこのグラサン長髪キメ顔男の方で間違いなしと商品確認をしてるんだろう……今ここにいるということは星野源ファンではないよな……とか考えつつ、売り切れる前にゲットできた。幸か不幸か自分のスマホケースはクリアタイプではないので、ニセを露出させずに利用可であった。

▼開場まで
・物販チャレンジが終了してから、開演どころか開場するまで3時間半もある!長!となり、特に誰とも約束していなかったので、城に行くことにする。前日になんも考えず「『大阪城ホール』ってことは近くに大阪城があるのでしょうか?」とツイートしたらいろんな方から徒歩圏内ですよ〜と優しいリプをもらい、脳直で投稿したことを恥じた。フォロワーの愛に生かされている…… 坂と階段だらけでヒ〜と慄きつつ上まで辿り着く。周りがお堀だからか死ぬほど虫がいた。こんな感想でええんか?
・下山するとホールの南口に何やら列が。フォトスポットである。ソロだしいいかな……と何故か一旦諦めかけ、いや絶対後悔すると思い直して列に並んだ。後ろの人が前の人の分を撮影する善意システムが自然に成り立っているのが凄い。後ろの方、ありがとうございました。服装とタオルの色が全然合わなくて目がチカチカするけど撮ってもらって良かった。
・その後読売テレビの本社に立ち寄りコナンの像などを眺めてからホテルにチェックイン。この旅で一番不安だったのが「宿がきちんと取れているか」ということだったのだが問題なかった。何せ幼少期の家族旅行か修学旅行か合宿以外で他県に寝泊まりしたことがないくらい旅行しない人間なので、自力でホテルを予約するということも初めてだったのである(卒業旅行で海外に行った時も、同行者に超がつくアテンド好き人間がいたため全てを丸投げしていた)。というわけで、ようやく人生の経験値をひとつ獲得したという謎の達成感と、今夜泊まる場所があるという安心感でライブ前に既にひと仕事終えた感じになってしまった。本番はこれからだぞ。
・コンビニで調達した食料で腹ごしらえをする。大阪でもファミチキは変わらぬ美味しさだった。

▼開演まで
・開場から開演まで1時間半。ホールの徒歩圏内のホテルだったので、のんびり着替えたり化粧を直したりできた。にもかかわらず、せっかく買った速攻ブルーベリーも飲み忘れたし持参した双眼鏡もホテルに置いていった。ポンコツ
・すっかり日も落ちて暗くなった道をてくてく歩いていく。心持ちとしては出陣に近い。声をかけてくださったフォロワーさんたちと合流し、挨拶しつつそのまま入場の波に乗ってどんぶらこと移動。初めてお会いする時、絶対「実在されてるんですね……!」みたいなことを言ってしまうのだがもう少しまともなことは言えないのか、と思う。別に相手がAIであることを疑ったりしているわけではないのだが、生身で動いている姿を目の前にするとその強烈な実在性に回路が焼き切れるのか、本当にいたんだ的な言葉が口から出てしまう。悩ましい。文章と違って時間をかけて推敲できないおしゃべりは得意ではなく、終始ワワワワとバグりながら言葉を繋ぐので妙な日本語を口走っていないか心配になる。変なこと言ってたらすみません。でも直接お話しできて嬉しかった。
・身分証の準備をお願いしますー!言われて更新したての免許を握りしめたらその先に控える消毒コーナー。消毒終わってから言ってくれ。
・無事入場しフォロワーさんたちと別れて自席へ。スタンドのHブロックでステージの上手側(と言うのか?あのセッティングで)だった。タオルを首にかけている人が多くて眼下の景色がピンク。そわそわ。

▼ライブパート(星野源)
・冒頭、Assemblyの中止から3年〜という映像が流れる。私はMIU404の志摩一未をきっかけに星野源に沼ったのでファン歴としては2年半弱といったところ。比較的年輪の外側にいる人間で、3年前にイベントが中止になったことも今回のReassemblyの開催告知の際に初めて知ったくらい。ハマった時が自分にとってのベストタイミングだと思うようにはしているが、3年前に涙を飲んだファンと同じ温度にはなれないのは事実で、故にこの映像は昔から推してる人にはたまらないんだろうなと一歩引いたところから見ていた。のだが。右下からどよめきが聞こえ、えっそっから出てくんの?!と慌てて目をやると、主役が颯爽と現れた。その時、不意に眼球が曇った。おいコンタクト、とまばたきをして気づく。これは涙だと。推しの背中を見ながら私は泣いていた。まだ歌も聴いていないのに、自分がどういう感情なのかもわからないままに頬が濡れた。もうどのタイミングだったか記憶が曖昧だが、周りが一斉に席を立ち始めたのでつられてゴソゴソ立ち上がる。星野源のライブは初っ端から客席総立ちらしい。1曲目は『化物』で、この曲の間はずっと目から水が落ち続けていた。途中手拍子をやめて首にかけたグッズのタオルで目元を押さえ、ライブなのに本来の(?)使い方することあるんだ……など思う。こんなつもりじゃなかったのに、本当に何が起こるかわからないものである。自分の情緒的に言えばこの入場の瞬間がReassembly最大のハイライトだった。テレビでどアップの顔を見るより、数十メートル先の小さな背中に「生きている」と思った。これのために私はここに来たのだと思った。

そういうわけで以降余生──という感じになり、時折うっすら涙が滲むことはあっても基本的にはずっとニコニコニヤニヤしながらイベントを楽しんでいた。
(1/27追記:最初源さんが自転車で登場したと書いていたが、それはライブパート終わってトークパートに入った時の再入場の話だったことに横浜公演で気づく(!) 記憶が混濁していた模様。失礼しました)

・源さんのライブは手拍子がデフォルト、というより裏打ちで手を叩きたくなるようなビート感の曲が多いんだなということに改めて気づく。スペースが許せばサイドステップしたい曲もあった。直近で行ったライブが米津玄師だったのだが、米津は手拍子するような曲がほぼないのでこれだけ手を鳴らすのは新鮮な気分だった。裏拍取るのは俺に任せてくれ。
星野源、年齢を重ねるごとに美しくなっていって凄い。人目に晒される仕事をしているとどんどん磨かれていくんだろうなとは思うものの、若い頃より今の方がツヤっとしてないか?本当にもうすぐ42歳なんだろうか……髪のスタイリングが本当に好みでありがとう(ありがとう)……
・イエパス会員限定イベントだから昔の曲も、ということで個人的には耳に馴染んでない曲も2、3曲あったものの、心地よく聴いた。もし限定イベでなければもうすこし最近の曲の割合が多かったんじゃないかと思う。今の源さんの声で『知らない』が聴いてみたい。星野源マニアと言われてもしっくりこないファンたち、星野源の変態と言い直されてメッチャ拍手してたの面白かった。
・『うちで踊ろう(大晦日)』について、リリースしてない曲で紅白に出させてくれるNHKは寛容だみたいな話をしていて、流石NHKの寵愛を受ける男……と思った。そして、たぶんライブで歌うのはこれ(Reassembly)が最後になるだろう、とも言っていた。コロナ禍で誰とも会えないような状況の中でどうにかして繋がれないかと作った曲だから、もうこの曲を歌わなくていいようになってほしい(なったらいい)、みたいなニュアンスだった気がする。確かにそうだな……と。そして「生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で 重なり合えそうだ」という歌詞を聴きながら、MIU404シナリオブックのあとがきで野木さんが「どうか死なないでください 生きていてください」という言葉をくれたのを思い出してまた少し泣きそうになった。私はあなたたちのおかげで今生きていられます。その次の曲『Continues』が「命は続く 日々のゲームは続く」と歌うのもまた沁みた。
・歌詞に関連して。1曲目の『化物』では「誰かこの声を聞いてよ」と歌うのが8曲目の『SUN』では「君の声を聞かせて」になるのがしみじみ好き。これが意図したセトリなのかはわからないけど、リリースもこの順なのでなんとなく重ねてしまう。
・『喜劇』生で聴けて良かった……この曲に救われた人がいっぱいいるんだろうなと思っていたら、源さん自身が自分で書いて救われたと言っていて胸がきゅっとなった。
星野源ライブパートの締めは『Hello Song』で、2021年末の各音楽番組や2022年頭の宴会でこの曲を歌いまくってくれていたのをまるっと回収する有言実行ぶりが胸アツすぎた。今思えばその頃からこのイベントの実行に向けて動いていたんだろうか……?ちょっと準備期間がどれくらいのものかわからんけども。ずっといつか笑顔で会いましょうと言い続けてくれた人が、本当に会える機会を設けてくれてその約束の歌を最後に歌ってくれる。奇跡のような光景だった。この景色のためにどれほど力を尽くしてくれたのか。想像するだけで頭が下がるし、これからもファンでいさせてほしいと強く思った。

トークパート
・転換の繋ぎのビデオメッセージ、水谷千恵子の登場で突然様子がおかしくなる。
・ズボンが股擦れで破れ足が開けなかったと告白する寺ちゃん、新幹線の中でそのツイートを目にしてはいたがまさか昨日の本番中のことだとは思わず爆笑。今朝新調したから大丈夫と足を広げて見せたところから、四股踏んでるみたい→このステージ土俵っぽくない?→聖太さん行司ね の流れが完全に動画版ANNだった。ステージにぶっ倒れてゲラゲラ笑う源さんはたぶん会場にいた誰よりも目の前で起こることを楽しんでいて、その様を見られたことが本当に幸せだったなと思う。推しが元気に笑って過ごしてくれればもう何も望まん。
・関東勢の自分もイカ焼きなるものが何かわからず源さん状態だった。翌日しっかり食べて帰った。美味しかった(小学生の日記か)。
・客席の顔がよく見えるという話、え〜マジすかぁ?となりつつ、四方八方に意識して目線を配ってくれてるのは嬉しかった。自分の悲しい思い出を反面教師にしてそうするようにしてるとのことで、こんな大舞台で活躍する側の人なのに常に自分が誰かのいちファンだった頃の目線を持ち続けられることが凄いと思う。これはライブパートだったけど、セッティングの都合上どうしても背中を向ける位置の客席に対して「お尻ばかり見てて飽きませんか?」は笑った。飽きないよたぶん。円の状態でパフォーマンスするのが好きというのはなんかわかるな〜と。クラシックでも室内楽やパートごとの練習では半円かぐるっと円になることが多いので、少人数でアンサンブルする時にこの配置にしたいのは体感で納得できた。
・武ちゃん、さくちゃんへの質問コーナー。お馴染みの二人なので勝手にそう呼ばせていただいています。ライブ中ソプラノ(サックス)・アルト・テナー・フルート・クラリネットが手元足元に控えてる武ちゃん、「どれから習い始めましたか?」に対して「習ってない」といろいろ予想外の回答。独学でプロになっておられる???サックス間で持ち替えはまだしもフルートとクラリネットに手を出してモノにしてるの凄すぎる。「プライベートでは一途です(※既婚者)」
・ついにニセ明登場。正直ニセさんのことはよく知らないのだが本家公認らしい。そうなんだ。イカ焼き食べてきたとしれっと言ったところに「どんなイカ焼きでした?」と追及された時の「うっわやっべぇ……」みたいな間と表情がありえんほどかわいくて面白くて、ニセ・墓穴・明最高だった。
・みんなが一斉にシャッターを切ったらどうなるのか知りたいという謎の好奇心に付き合わされてニセ明と寺ちゃんのツーショを撮る羽目に。助けて。

▼ライブパート(ニセ明)
・またしても繋ぎのビデオメッセージ。さっき星野源宛にくれた人にそのままニセ明宛のメッセージを要求するのひどくて笑う。しかもほぼ全員別人格だし……萌音ちゃんがウケすぎてリテイク連発しててそれはそうだろうとなった。そういえば友近と水谷千恵子とそれぞれからフラワースタンドが届いていたのを思い出した。なんだこの徹底した祝い方は。あと雅マモル、「ニセさんの雅も見てみた~い」はガチで意味不明なことになるからやめな?
・ステージの周りに20個弱のミラーボールが配置されていて派手だな~とずっと思っていたのだが、それよりもギランギランの衣装を纏ったニセさんがステージに躍り出てきてやばかった。自己主張の塊。
・「ニセ明」という存在はふざけ倒しているのに声帯が星野源と同じだから普通に歌が上手い。むしろ前半で温まっている分星野源より声出てたしロングトーン長かった。我々は何を見せられているんでしょうか?
・『君は薔薇より美しい』のサビ終わりで「一緒に!」って言われたけどちょうどそこが変拍子になってて客はこの手拍子はどこに入れれば?と戸惑っておりそれどころではない。
・『なめとんか』ただの星野源でした。クソよかった。武ちゃんのドエロサックスがドエロかった。
・最後は源のカバーすっかと『異世界混合大舞踏会(feat.ニセ明)』だった。照明が暴れ散らかしててまさに異世界混合大舞踏会の様相を呈していた。この曲に限らず各曲照明が気合入っていたし、源さんは毎秒MVみたいな仕上がりを見せつけてきた。適当に感じる部分が全然なかったな……
・ニセで締めかと思ったら最後は再び源さん登場!ニセを呼びに行って楽屋で気絶していたとのこと。最後四方それぞれにメンバーみんなでペッコリしてくれた。アンコールなどはなくすぱっと終了。その潔い感じも良かった。

▼まとめ
・繰り返しになるが、源さんがめちゃくちゃ楽しそうにしていて、その姿を見られたことが何より幸せだった。3時間あるイベントの半分近くをニセ明という別人格が仕切っていたのは傍から見ればよくわからない構成だが、源さんはファンは受け入れてくれるだろうと思ってこの構成に踏み切ったに違いなく、そうやって信じてもらえた・好き勝手暴れても許されると思ってくれたということが、何ものにも代え難く嬉しかった。私が星野源を信用・信頼しているように、彼が私たちを信用・信頼してくれたらこれほど素晴らしいことはないと思う。
・バンドメンバーがもう凄い。毎度うめぇ〜〜〜〜〜と思うが、なんというか星野源にジャストフィットしてるんだよな……ニセ明も存在はギャグだけど中身はh…………だしサウンドがべらぼうにバッキバキにかっこいいのでガチのライブパートとして成立してる。仮にニセ明の単独ライブがあったとしても余裕で金出せる。
・マナーの良いファンばかりで快適に過ごせた(少なくとも自分の周りに迷惑な客はいなかった)。あまり内輪褒めで民度高いこの界隈最高♡みたいな盛り上がり方はしたくないが、推しに恥じない自分で在ろうと意識している人に囲まれると自分の背筋もちゃんと伸びて、胸を張って星野源という人を応援できる気がする。

ホテル戻る前にコンビニ寄って夕飯を買い、そういえば部屋に歯ブラシなかったわ〜と歯ブラシと歯磨き粉も買ったらホテルのフロント階にまとめてどっさり置いてあった。私はこういうところがめちゃくちゃある。

次は横浜公演〜!無事に終わりを迎えられるように祈りつつ。私は27日にまた会いに行きます。

ニセ明と寺ちゃんのツーショット(※撮影・投稿OK)

欠けよ星たち躍れや心

月が欠けてる!!!!とテンションぶち上がりになって家までの道を歩いていると、スマホ片手に立ち止まって空を見上げている人にたくさん遭遇した。毎度思うがスマホで月を撮るのって難しくないか?天体ショーの目撃者になるたび一応シャッターを切ってみるものの納得できた試しが一度もない。

玄関に鞄を放置してまた外に戻り、月が本影に飲み込まれるまで目を凝らしたり双眼鏡を覗いたりTwitterを眺めたりしながら冷えた外気に耐えていた。そういえば今日は集合住宅での子どもの声に関してあんな意見やこんな意見がTwitter上を飛び交っていたが、こんな日に子どものはしゃぐ声が共用廊下から漏れ聞こえるのは悪くないことだよな、と思う。大のおとなだってこんなに大騒ぎしているのだ。月があんなことになってたらそりゃ面白いよな?何歳になってもわくわくしような?とよくわからない立場になりながら赤銅色に染まっていく月を見つめた。

私は割とこういう宇宙規模のイベントを楽しみにしていて空を眺めてはルンルン気分に浸ることが多いのだが、いつもいつも10年くらい前に見た金環日食のことを思い出してしまう。

それは当時高校生、朝の学校、Newtonの付録の観測用グラスを携えてのことだった。確か中間テストの初日だか2日目で、早く登校して勉強してから拝もうと浮かれていたもののまあ当然身が入るわけもなく、もういいかと諦めて校舎の端の太陽が見える窓の方へと移動すると、同じことを考えている人間が私の他に2人いた。推定同学年の顔も名前も知らん男子と地理の先生。先生と日食ですねそうですねみたいな会話をしながら、一応テストあるのに勉強サボって太陽見に来てんの若干気まずいな、と思ったか口にしたかした。すると先生は「勉強とかテストなんかどうでもいいんですよ。こういうものを見る方がずっと大事ですから」といったようなことを仰ってハハハと笑った。
いやサイコー……と私は思った。その先生はちょっと変わっていて、教科書を用いるという概念がなく「私の授業では寝ようが携帯触ろうが内職しようがごはん食べようが自由です。お好きに過ごしてください。ハハハ」というスタンスの、保護者的には大丈夫かそれみたいな人だったが、授業授業していない感じが新鮮で好きだった。だから、教師という立場でそういうこと言っちゃうのも先生らしかったし、子ども相手にそういうことを言ってくれる大人がいるということが嬉しかったのを今でもよく覚えていて、時々思い出す。珍しい金環日食を見たことよりも、先生の言葉の方がずっと頭に残っている。宇宙の神秘的な光景を目の当たりにするたびに蘇る、大事な記憶だ。

こんなことをつらつらと書いている間に月は地球の影を抜けて平常通りの運行に戻ってしまった。ぶっちゃけ欠け切ったところがピークでその後はもうなんでもよかったりする。寒がりなので一旦家に引っ込んでしまったらもう外に出る気がなくなって、月食鑑賞会は終了した。お疲れさまでした。

実はさっきモブみたいな書き方をした初対面男子のことも実は結構記憶に残っていて、何故なら目を細めて窓の外を見ていた彼が、持ってたシス単からおもむろに赤シートを抜いて日食グラスよろしく目の前に掲げだしたからである。バカ?????
もちろんそんなことを言う間柄ではなかったので黙っていたし、その後の高校生活においてもなんの伏線でもなかった。ただその光景も不思議と忘れられず、なんかいい朝だったな、と懐かしい思いに浸ることに寄与してくれている。

影技術がなさすぎる

機動力も戦闘力も

私は踵のある靴が好きだ。ヒールの高さは戦闘力の高さだと思っているので、気合が要る日や強い心を持ちたい時は絶対にウンcmヒールの靴を履く。知らん奴に舐められたくないし、そういう意味ではファッションというより武装と呼ぶ方が近いのかもしれない。

そんな自分が、今日はスニーカーを履いた。実に5億年ぶりの出来事である。というオタクがやりがちな誇張表現を抜きにしても、5、6年ぶりなことは確かだった。
大学時代の前半はまだ黒いコンバースを持っていて、それなりに履いていたように思う。いつだったか、ファッション性の高い服装でなくてもイヤリングをつけてヒール高めの靴を履けばそこそこくらいには見える、と気づきを得てから自然と踵のある靴を好むようになり、そこから冒頭のヤンキーマインドが芽生えていくのだが、スニーカーに対する苦手意識を持ちだしたのもたぶんこのあたりだったかな……という記憶がある。苦手意識、というか自分には似合わない・履きこなせないといった敬遠するような感覚。曰く、スニーカーを履くのは垢抜けない人もしくはオシャレ上級者。偏見がすごすぎる。怒られそう。
そういうわけでこの数年スニーカーからは距離を取り踵をカツカツ鳴らして歩いてきた。黒のコンバースはボロボロだったのでさよならした。

が、ついにスニーカーの必要性というやつがこの身に降ってきたのである。なんと米津玄師のライブのチケットがご用意された。イエーイ!!!!
さすがにライブに踵の高い靴で行くほどヒール狂ではない(だいたい普通に迷惑だ)。フラットシューズも持ってはいるけどやっぱスニーカーだよな、と思ったのは、心のどこかでスニーカーにチャレンジしたい気持ちがあったんだろう。ライブに行くのに必要だからというテイなら買えそうで、別に自分相手に言い訳しなくてもいいのになかなか面倒な性格をしている。

ライブまでそう日もないので仕事帰りにABCマートに寄った。そういえば1年くらい前に、災害で避難が必要になった時に履く靴がないから買います、みたいなことを呟いていたのに何もしていないではないか。
売り場を覗くとドドドドドドドドとたくさんスニーカーが並んでいて慄く。スーパーの菓子パンコーナーに来たみたいだった。どれがメンズでどれがウィメンズかもわからないので、とりあえずちょこちょこ手に取りつつぐるっと一周する。多……と感心しながら、結局一番最初に目についたやつがずっと意識の片隅にあり、買うならこれだろうと思い店員さんに24.5cmがあるか訊いた。確認しますのでお待ちください、と言って操作しだしたのはポケットから抜いたスマホで、最近は何でもスマホでできるんだなと地味に感動する。無事在庫があったので試し履きさせてもらい、サイズも大丈夫そうだったのでそのまま購入。パンプスだと24.5でも入らないことがあるが、このスニーカーはぴったりだった。

これまで散々スニーカーと書いたがタグを見たら"スリッポン"とある。靴紐がなくズボッと履けるタイプはそう呼ばれるんだろうか。黒地に白い底、柄の帯がアクセントでカワイイ。
最初は志摩が履いていたモデルにしようかなんて考えていたが在庫切れのようで、伊吹が履いていた通称ポンプちゃんは素人が手を出すにはいろんな面でハードルが高かった。伊吹の自室、シューズに一番ウエイトがあるのがわかる配置なのが良い(脱線)。

ライブ当日までに慣れておこう、というのもまた言い訳で、たぶん早く履いてみたくて早速解禁する。足の裏が柔らかい!!!!地面から伝わる衝撃がいつもと違いすぎるせいで歩き方がよくわからなくなり変な歩調になった。クッションパネェ!
そして驚いたのは、街ゆく人々がめちゃくちゃスニーカーを履いている、ということだった。えっ履きすぎじゃない?と思うくらいみんなスニーカーなのだ。これはもちろん空前絶後のスニーカーブームが発生しているわけではない。これまで意識して見たことがなかっただけで、自分がスニーカーを履くようになったことでフィルターの種類が変わったのだ。私の目に映った人たちは野暮ったくもなく、近寄り難いファッションモデルでもなかった。何も難しいことはなかったと今の自分なら思える。往来の足元に自然に馴染んだそれらを見つけた時、泡が弾けたように意識が変わった。そして、これを文章として残したいと強く感じた。それほどのことか?と思うし、それほどのことだ、と思った。

目下の本命は米津さんのライブだが、スニーカーのあまりの快適さに気づいてしまった私はこの先日常的に履くようになるだろうという予感が猛烈にある。そもそも総重量20kgの木箱(※楽器)を担いで階段を上ったり数時間立ちっぱで全奏に参加するのにパンプス履いてくの馬鹿なんじゃないの……?とは思うものの、己のメンタルと所属してるオケのドレスコード的な諸々との兼ね合いもあるので上手い具合に履き分けられたらいいな、という感じ。クッション性抜群の疲れない素敵なハイヒールが欲しい。

プレイリスト『地獄』を再生しながら

この世はクソ、と思いながら生きている。クソと思わない日などない。日本は終わっている、と感じるし、人生100年時代なんて言われたってこの世界であと75年も生きるなんてまっぴらごめんだ。生まれてから1度も景気が良かったことがなく、女であるというだけで踏みつけられ、現政権はカルト宗教と癒着している。何か競ってるのか?というくらい、毎日毎日最低最悪が更新される。

この世はクソ、と思いながら生きている。でも、望んでそう思っているわけじゃない。日本は終わっている、と吐き捨てたくて吐き捨てているわけじゃない。自分が生まれ落ちたこの場所を呪いながら生きたくはない。世界に祝福されて、世界を祝福したいのだ、本当は。

だから私は「I♡JAPAN」に救われた。
現実世界と同期したクソまみれの世の中で生きる志摩と伊吹が、日本社会が抱える問題を前に幾度となく遣る瀬無さを味わってきた彼らが、最後の最後でI♡JAPANと書かれたTシャツを纏って走り回る。それはまるで、パンドラの箱に最後に残ったエルピスのようだ、と思った。たとえ行く先が闇でも光を求めることをやめない。折れて欠けて割れて砕けて満身創痍でも、うずくまったまま終わったりなどしない。こんな馬鹿な世界、それでもなお、アイラブジャパン。絶望するには早いと言われた気がした。日本だってきっとまだ捨てたもんじゃないと思っている、あるいは思っていたい、あるいは思わせてくれと願っているのを感じた。当時はまだ知らないが、志摩と伊吹がお揃いのI♡JAPAN Tシャツを着ることは脚本の時点で指定されている。つまり、単なる小道具ではなく明確な意図をもって放たれたメッセージだ。今日も明日もクソまみれの世の中で生きる我々への激励と肯定。私はそう解釈して、あの晩少し泣いたのだった。

そして2年後の夏、また私は似たような光景を見てベッドの上で四肢を投げ出すことになる。志摩一未を演じた星野源冠番組『おげんさんといっしょ』の第6弾、ラストを飾った『地獄でなぜ悪い』。「地獄にいるみなさんに捧げます」という前口上で早々に食らって、歌う姿に食らって、歌詞に食らって、星野源ここに極まれりとゴシック体で思い浮かべたパフォーマンス。動けない場所から君を同じ地獄で待つ。2022年の今、この曲を選んだ意味とは。それに想いを馳せた時、重なったのはあのI♡JAPANだった。この世はクソ、でも進むことを放棄しない。ここは地獄、でも生きていく。シナリオブックあとがきの「私たちは同じ地獄を生きています。共に苦しみ、共に抗い、戻れない時を刻んでいくしかない。だからどうか死なないでください」という言葉を改めてなぞった。去年『Cube』を聴いて志摩の「生きて、俺たちとここで苦しめ」を想起したように、星野源野木亜紀子の親和性の高さをずっと感じている。

7話のジュリの台詞「意味とか言い出したらさ、この世のほとんど、意味なんてないよ」を聴くと『恋』の「意味なんかないさ暮らしがあるだけ」を思い出す。SWITCH 2021年1月号の脚本家インタビュー(夫婦役から夫婦になった二人が表紙の号)での「結局のところ人はみんな別々の人間。それぞれ違うことを考えているし、簡単にはわかり合えない。そこに人と人が共に生きる難しさと面白さがあると思っているんですね」という言葉には『ばらばら』や『うちで踊ろう』を感じた。『不思議』をリリースした時に言っていた「世の中が素敵だからこの愛があるんじゃなくて世の中がどれだけクソでも俺たちは愛を生むことができる」は「いつの日も君となら喜劇よ」と歌う『喜劇』にも通ずるスタンスでもあり、地獄の中にいても俺たちはまだI♡JAPANと言うことができる、と変換してもいいのかもしれないと思った。野木亜紀子があれほどまでに深く星野源インサイドな部分を抽出して志摩一未というキャラクターを生み出せたのは、精神の共鳴ゆえだと考えて良いだろうか。

このJAPANを"国家"として捉えると、I♡JAPANはあまりに皮肉めいているし物凄い勢いで中指を立てているように見える。5話のベトナムから来たマイは泣きながら「日本を嫌いになりたくなかった」と言った。なりたくなかった、と過去形だった。逮捕された水森は「外国人はこの国に来ちゃいけない」と叫んだ。オリンピックの開催国として外国人を受け入れる準備を粛々と整えている真っ最中に。アイヘイトジャパン。なんと痛烈な。
一方で、伊吹みたいに「窓のひとつひとつに人がいて、みんな暮らしてんだなぁ」と"生きる場所"として考えると、レインボーブリッジを包む夕映えのように美しく尊いものとして受け止めることもできる。嫌なもの、悪いものばかり目立つ。けれど、その陰で真っ当に生きている人間が、降りかかる不条理に負けじと踏ん張って声を上げる人たちがたくさんいる。そのことを知っている人が、きっとたくさんいる。I♡JAPANはマトリョーシカのように「そのことを知っているよ」と肩を抱き背中を押す言葉として私の中で響いている。

私の好きな人たちは、この腐りかけた世界に怒りを示しながらエンタメを媒介として私の抗う意志を支えてくれる。明日を生きようと思わせてくれる。ありがたくて幸せなことだ。
日本が好きですか?と訊かれたら「部分的にそう」と某人工知能のような答えしか今は返せない。けれどいつか、もし自分の世代でダメなら後の世代が、心の底からI♡JAPANと言えるように、できる限りのことをしていきたいと思う。

I♡MIU404
I♡"I♡JAPAN"