妹の卒業にまつわる独り言

3月。卒業の季節ですね。
昨日3月1日は卒業式を行う高校が多かったと聞いて、妹もちょうど去年の昨日卒業したんだったと懐かしく思い出しました。
妹はコロナによって大事な青春のひと時を奪われた人でした。同時に、コロナからただ奪われるだけの人でもありませんでした。そのことを書いた日記めいたものを、再録という形でこのブログにも載せておこうと思います。もともとはnoteに投稿したものですが、今後使う予定がないので引き継ぎの意味も兼ねて。


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2020.3.1

妹が今日、高校を卒業した。

3月1日、晴天。卒業式をやるにはもってこいの、柔らかく暖かい日差し。新型コロナウイルスの影響で保護者の参列は認められず、生徒と先生だけで行う形式だった。
今晩はすき焼きにするからね、と言っておいたのに20時をまわっても帰ってこない。きっと今日で終わってしまう高校生活に別れを告げるので忙しいのだろう。

本当は、3月16日が" 卒業 "の日になるはずだったのに、彼女の高校生活は突然幕を下さざるを得なくなった。青春の全てを捧げてきた部活動の集大成の公演を、自粛という形で中止したからだ。
学校側も苦渋の決断だったのだろうが、彼女たちの最後の1ページはあまりにも急に、あっけなく破り取られることとなった。

2月27日、仕事が終わってラインをチェックすると、家族のグループに「中止になりました」と一言だけ入っていて、ああやっぱりそうなってしまったのかと苦い気持ちになった。
家に帰ると妹は友人とたわいもないやり取りを延々とビデオ通話で続けていたが、それは悲しみを紛らわすためにみんなでそうすることにしたのだそうだ。かれこれ5時間くらいは馬鹿みたいに明るく高いテンションで騒いでいただろうか。感情の整理ができなくて当然だ、とそっとしておくことしかできなかった。

しかし高校生というものはタフだった。定期演奏会中止の宣告を受けた翌日には、卒業式までに自分たちに残された2日間をどう使うか決め、その実行のために動きだしていた。
そして昨日、彼女たちは25回目の定期演奏会を開催した。講堂も体育館も貸してもらえなかったので小さな音楽室で。1・2年生は部活停止になっていたので3年生だけで。作りかけの衣装を纏って、完成にはまだ遠いプログラムをみんなで精一杯やりきってきたそうだ。
私は家を空けていたので直接妹とは話せていないが、母づたいに「やれるだけのことはしたし濃くていい時間だった」という言葉をきいて安心し、妹の成長をしみじみと噛みしめたのだった。

私と妹は5歳差の姉妹だ。3月生まれなので周りの子より小さく、人前が苦手ですぐもじもじして泣いていた。そんな妹が、高校を卒業する。その事実が今でもどこか信じられない。自分の中の妹より、目の前の妹の方が大人びていてそのギャップにびっくりすることがある。「そんな言葉知ってるの?!」と言うと「それくらい知ってるわ舐めてんのか」とキレ気味に返される。いつまでも小さい妹じゃないのだと思い知らされるたびに、少し寂しい気持ちにもなる。ああ、こうしてどんどん大人になっていくんだなと……と。

昨年、定期演奏会で舞台上で踊る(吹奏楽部だけど踊るのだ)妹の姿を見てボロ泣きして、来年は絶対にやばいなと思っていたのだが、まさかその演奏会自体がなくなってしまうとは思いもよらなかった。キラキラと輝く妹を、客席から見届けたかった。一番無念なのはもちろん本人たちだろうが、必死に頑張る姿をずっと見てきた私たち家族も悔しくてならない。
それでも、一生忘れられない思い出になったと妹が言うから、私もそれを受け入れようと思う。

3年間よくやったね。卒業おめでとう。

なお、なかなか帰ってこないので主役がいないのに「卒業おめでとう〜!!」と乾杯してすき焼きを食べた。一体何の会だ。


(2021.3.2 加筆・修正)

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コロナが流行り始めてから早1年。まだ終息という光の見えない闇の中にいる我々ですが、自分のできることをやりながら生きていくしかありませんね。
ちなみに大学生になった妹は単位を1つ落としたようですが無事進級はできるそうです。再履修頑張ってください。