プレイリスト『地獄』を再生しながら

この世はクソ、と思いながら生きている。クソと思わない日などない。日本は終わっている、と感じるし、人生100年時代なんて言われたってこの世界であと75年も生きるなんてまっぴらごめんだ。生まれてから1度も景気が良かったことがなく、女であるというだけで踏みつけられ、現政権はカルト宗教と癒着している。何か競ってるのか?というくらい、毎日毎日最低最悪が更新される。

この世はクソ、と思いながら生きている。でも、望んでそう思っているわけじゃない。日本は終わっている、と吐き捨てたくて吐き捨てているわけじゃない。自分が生まれ落ちたこの場所を呪いながら生きたくはない。世界に祝福されて、世界を祝福したいのだ、本当は。

だから私は「I♡JAPAN」に救われた。
現実世界と同期したクソまみれの世の中で生きる志摩と伊吹が、日本社会が抱える問題を前に幾度となく遣る瀬無さを味わってきた彼らが、最後の最後でI♡JAPANと書かれたTシャツを纏って走り回る。それはまるで、パンドラの箱に最後に残ったエルピスのようだ、と思った。たとえ行く先が闇でも光を求めることをやめない。折れて欠けて割れて砕けて満身創痍でも、うずくまったまま終わったりなどしない。こんな馬鹿な世界、それでもなお、アイラブジャパン。絶望するには早いと言われた気がした。日本だってきっとまだ捨てたもんじゃないと思っている、あるいは思っていたい、あるいは思わせてくれと願っているのを感じた。当時はまだ知らないが、志摩と伊吹がお揃いのI♡JAPAN Tシャツを着ることは脚本の時点で指定されている。つまり、単なる小道具ではなく明確な意図をもって放たれたメッセージだ。今日も明日もクソまみれの世の中で生きる我々への激励と肯定。私はそう解釈して、あの晩少し泣いたのだった。

そして2年後の夏、また私は似たような光景を見てベッドの上で四肢を投げ出すことになる。志摩一未を演じた星野源冠番組『おげんさんといっしょ』の第6弾、ラストを飾った『地獄でなぜ悪い』。「地獄にいるみなさんに捧げます」という前口上で早々に食らって、歌う姿に食らって、歌詞に食らって、星野源ここに極まれりとゴシック体で思い浮かべたパフォーマンス。動けない場所から君を同じ地獄で待つ。2022年の今、この曲を選んだ意味とは。それに想いを馳せた時、重なったのはあのI♡JAPANだった。この世はクソ、でも進むことを放棄しない。ここは地獄、でも生きていく。シナリオブックあとがきの「私たちは同じ地獄を生きています。共に苦しみ、共に抗い、戻れない時を刻んでいくしかない。だからどうか死なないでください」という言葉を改めてなぞった。去年『Cube』を聴いて志摩の「生きて、俺たちとここで苦しめ」を想起したように、星野源野木亜紀子の親和性の高さをずっと感じている。

7話のジュリの台詞「意味とか言い出したらさ、この世のほとんど、意味なんてないよ」を聴くと『恋』の「意味なんかないさ暮らしがあるだけ」を思い出す。SWITCH 2021年1月号の脚本家インタビュー(夫婦役から夫婦になった二人が表紙の号)での「結局のところ人はみんな別々の人間。それぞれ違うことを考えているし、簡単にはわかり合えない。そこに人と人が共に生きる難しさと面白さがあると思っているんですね」という言葉には『ばらばら』や『うちで踊ろう』を感じた。『不思議』をリリースした時に言っていた「世の中が素敵だからこの愛があるんじゃなくて世の中がどれだけクソでも俺たちは愛を生むことができる」は「いつの日も君となら喜劇よ」と歌う『喜劇』にも通ずるスタンスでもあり、地獄の中にいても俺たちはまだI♡JAPANと言うことができる、と変換してもいいのかもしれないと思った。野木亜紀子があれほどまでに深く星野源インサイドな部分を抽出して志摩一未というキャラクターを生み出せたのは、精神の共鳴ゆえだと考えて良いだろうか。

このJAPANを"国家"として捉えると、I♡JAPANはあまりに皮肉めいているし物凄い勢いで中指を立てているように見える。5話のベトナムから来たマイは泣きながら「日本を嫌いになりたくなかった」と言った。なりたくなかった、と過去形だった。逮捕された水森は「外国人はこの国に来ちゃいけない」と叫んだ。オリンピックの開催国として外国人を受け入れる準備を粛々と整えている真っ最中に。アイヘイトジャパン。なんと痛烈な。
一方で、伊吹みたいに「窓のひとつひとつに人がいて、みんな暮らしてんだなぁ」と"生きる場所"として考えると、レインボーブリッジを包む夕映えのように美しく尊いものとして受け止めることもできる。嫌なもの、悪いものばかり目立つ。けれど、その陰で真っ当に生きている人間が、降りかかる不条理に負けじと踏ん張って声を上げる人たちがたくさんいる。そのことを知っている人が、きっとたくさんいる。I♡JAPANはマトリョーシカのように「そのことを知っているよ」と肩を抱き背中を押す言葉として私の中で響いている。

私の好きな人たちは、この腐りかけた世界に怒りを示しながらエンタメを媒介として私の抗う意志を支えてくれる。明日を生きようと思わせてくれる。ありがたくて幸せなことだ。
日本が好きですか?と訊かれたら「部分的にそう」と某人工知能のような答えしか今は返せない。けれどいつか、もし自分の世代でダメなら後の世代が、心の底からI♡JAPANと言えるように、できる限りのことをしていきたいと思う。

I♡MIU404
I♡"I♡JAPAN"